友達付き合い

琵琶湖疎水 筆者について
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高校時代の友人

高校の友達って大切なものだと
最近知りました。

大学に入ってからは新しい世界ばかり見て、
いつしか高校の友達は過去のモノに。

郷愁の思い
懐かしさ
思い出話

過去に浸る心地よさは
ともすれば麻薬と同じようなもので、

それこそtripと言っても良い。
そういうものとして、捉えていました。

「本を読む」ということ

高校生の頃に読んだ本の中に、

「過去に浸ることに生産性はない」

そう書かれていました。

 

ぼくは中小企業経営者の家で育ちました。
しかも長男として生まれました。

だから「生産性」という言葉には、
世間の十代よりは敏感だったと思います。

学校の先生の言うことは聞きませんでしたが、
本に書いてあることには素直に従うことができた。

 

本って不思議なもので、
生きた人間の口から出た言葉よりも
抵抗なく受け入れられるものなんです。

校長先生の話は面白くないけど、
同じことが本に書かれてあれば面白く感じるかもw

 

でも一番大きいのは、
本がぼくの人生の先輩であり、
先生でもあり友人でもあり、
娯楽や関心の窓だったせいもあります。

マンガやゲームはあまり買ってもらえず、
テレビすら制限されていた家庭だったので、
自ずと娯楽は本に向かうわけですね。

ぼくは父と母と本に育てられたといっても
言い過ぎだとは思いません。

中学と高校の違い

ぼくはお受験をして
中学から府外の私立へ行きました。

当然、地元の友達との付き合いが
切れるわけではなかった。

でも無意識下で感じていたのは、
価値観の相違でした。

 

公立の中学校って、賢い子からそうでない子、
スポーツ万能から運動音痴、
いろんな人間が集まります。

お受験をしたぼくは、
中学の友達との方が話が合いました。

偏差値の違いというのは、
どうも価値観の違いでもあるらしい。

 

地元の友達と話をするとき、

「将来は社長になる」
「金持ちになりたい」

という話はすれど、
手段については一向に話に出てこない。

中学、高校の友達と話をするとき、

「〇〇するにはどうしたら良いか」
「□□すればうまくいくかも」

目標について話をすると
必ずプロセスのことも話題にのぼる。

 

今になって思えば、私立に入れてもらって
本当に感謝しないとなって思います。

価値観の近い人間と時間を分け合う

中高共に派手なグループに属していました。
だからポケットに文庫本が入ってるような
暗そうな子たちを、一緒になって笑っていました。

しかし、実をいうとぼくもブレザーのポケットに
文庫本を忍ばせている人種でしたww

バレたら恥ずかしいので、
いつも屋上へつながる階段(立入禁止)で
こっそり本を読んでいました。

家に帰ってもゆっくり本を読めないからです。

 

小学生の頃、父と母はぼくが本を読んでいると、

「これ、面白いから読んでみ」
「あんた、こんなん読んでんの。こっちにしい」

とお節介を焼かれるのです。

なまじ父母も読書家だったせいです。
気持ちはわからなくはないですが、

確かに小学生が
『人間失格』とか
『陰翳礼讃』とか
『君主論』とか
『愛するということ』とか
『ぼくは勉強ができない』
なんて読んでいるところを見れば
心配になるのもわかりますが、

放っておいてほしいですよね。
そういう年ごろです。

子どもの冒険に、大人が入ってきてはいけない!

 

知らない世界
知らない人
知らない考え方

それを知ることに必死でした。

だから高校の友達と改めて遊ぼう
という気にはなれなかった。

でも、そういうのを
「食わず嫌い」っていうんですよね。

 

SNSで縁が復活して、
その縁が新しい縁を持ってきて、
そしてブログを書くまでになった。

1人はサラリーマンになり、
1人は家業を継ぎ、
1人は庭師になり、
1人は医者になり、

うーん、医者になった友達とは
偏差値全然ちゃうと思いますが、

でも10年間、付き合いが途絶えていたから
価値に気付けたように思います。

 

古いようでいて、これもまた
新しい世界ですから。

連れて来てくれた友人Sと友人Sに、
最大の感謝を。

イニシャル同じやからややこしいなあw