博多の歴史を駆ける!櫛田神社から大宰府・水城まで!後編

太宰府天満宮 ロードバイク
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櫛田神社をあとにして

お待たせしました!
福岡旅1日目のゴールは
太宰府天満宮です!!

学問の神さまとしてまつられている
菅原道真(すがわらのみちざね)は、
どのようにして神さまになったんすかね。
てか人って神さまになれるんですねw
そういえば秀吉も家康も神さまになってたな。

今回のラインナップは、こちら・・・

・太宰府天満宮参道にて隈研吾と出会う
・太宰府天満宮で道真の無念を想う
・空前の人だかり!
梅ヶ枝餅と新元号「令和」との関係とは

太宰府天満宮参道にて隈研吾と出会う

大宰府政庁跡から約2km。
ついに太宰府天満宮に到着です!
ホンマにお待たせしました。w

太宰府天満宮

駅前からして観光地の雰囲気が!
駅前は人はまばらですね。
これくらいならゆっくり回れるかなーと思いきや!

太宰府天満宮

なんか増えてきた・・・

太宰府天満宮 スターバックス

おしゃれスタバ。
人多すぎ。どこでも味いっしょやと思うんやけど。
ただデザインは素敵っす。

設計は隈研吾さん。
そらーおしゃれなはずっす。

隈研吾さんといえば、東京五輪の新しい国立競技場の設計者でもあります。その他にも商店街からお店までデザインされています。ぼくが知っているのは富山にある複合施設「TOYAMAキラリ」と、山形にある「銀山温泉 藤屋」ですね。特にTOYAMAキラリは市立図書館も入っており、本好きの私としては死ぬまでに行っておきたい図書館ランキング第5位にランクインしてます。ちなみに1位は「国際教養大学 中嶋記念図書館」です。秋田県にあるので、行くには思い切りが必要です・・・。

気になる方は以下からどうぞ・・・

TOYAMAキラリ
富山県富山市西町5−1
Mapはこちら

銀山温泉 藤屋
山形県尾花沢市大字銀山新畑443
Mapはこちら

国際教養大学 中嶋記念図書館
秋田県秋田市雄和椿川奥椿岱193−2
Mapはこちら

 



 

 

本題に戻りますね、すんませんw
真っ直ぐ進んでいくと境内に入ります。

太宰府天満宮

鳥居をくぐって・・・

太宰府天満宮

橋を渡ります。
ちょっと変わった形をしていますね。

ここはアレを出すしかあるまいて。
karateの伝家の宝刀!
ガイドさんの話を盗み聞き!w

ガ「この池は心字池と言いまして、その上にかかっているのが太鼓橋です。橋は3つ続いており、それぞれ過去・現在・未来を表しています。仏教の教えでいう『三世一念』を体現したものです。3つの橋を渡ることで、過去から未来までの邪念を拭います。なぜ橋を渡るだけでそんなことができるのか。それはこの池が身を清めてくれるからです。水には古来から身を清める働きがあるとされ・・・」

なるほど、垢離(こり)をせずともお清めができると。
それはありがた~い池ですね。
旅行にきて、お参り前に水ぶっかけられたら
誰も来たがらないすもんねw

太宰府天満宮

先へ進むと、楼門が見えてきました。

太宰府天満宮

蟇股(かえるまた)には梅の彫刻が!
道真をまつった神社ですもんね。

太宰府天満宮

楼門をくぐると、すぐに本殿が見えます。

太宰府天満宮で道真の無念を想う

太宰府天満宮

本殿の右手には寄り添うようにして、
飛梅(とびうめ)
があります。

飛梅伝説

道真が左遷されて京都をあとにする折、
この梅の木に向かって詠んだ歌があります。

東風(こち)ふかば
にほひをこせよ 梅の花
あるじなしとて 春なわすれそ
(春が来て東風が吹いたら、花を咲かせて素晴らしい香りを送っておくれ、梅の木よ。主がいないからといって、春が来たことを忘れるなよ)

この歌を聞いた梅は感動のあまり、
道真を追いかけて大宰府まで来ちゃいました。
どうやって来たのかというと、空路です。
飛行機なんてありませんので、
自力で飛んできましたw
朝起きると、大宰府にいる道真の家の庭に
しれっと生えていたそうです。w

そう、飛梅は読んで字のごとく、
世にも珍しい空飛ぶスーパーツリーなんです。
植物界のアベンジャーズですw

植物にまで愛された菅原道真は、
どんな人物だったのでしょうか。
※長くなるので、関心がなければ読み飛ばしてくださいね。

菅原道真(845~903)

菅原道真はめちゃめちゃ頭の切れるエリート官僚でした。中世、中国の政治や文化を真似するのをやめて国風文化が栄えたのは、彼が遣唐使を一旦中止することを訴えたからです。

仕事ができる人だったため、家格以上に重用されます。すると、他の重臣たちは面白くないですよね。当時対立していた藤原氏派に讒言(ざんげん)され、無実の罪で大宰府に左遷。その2年後に当地で亡くなります。

藤原氏はその後ますます繁栄し、政治の実権を握っていきます。しかし、万事うまくいったわけではなかった。

菅原道真は祟りとなって京都に帰ってきました。首謀者たちを次々と死に追いやり、
干ばつ疫病の流行
皇太子の命を奪い、
果てはその息子の命までをも奪いました。
更に洪水が起こり、
もう一発疫病が流行ります。
ちょっとやりすぎちゃうか、道真さん・・・。
極めつけは清涼殿への落雷
この火事で多くの者が命を落とし、
やがて天皇も病にかかるという始末。

なんでここまで道真が力を持っていたのかと言うと、怨みが凄まじかったというだけでは随分足りません。だって、帝釈天さまから呪い殺す許可をもらっていたそうですから(後世の脚色でしょうけど)。仏さま公認の殺人って、凄すぎません?w

それもそのはず。道真はいろんな役職を歴任してきたのですが、この話に大きく影響するとすれば「文章(もんじょう)博士」だったことが大きいと思われます。大学で学生たちに勉強を教えるのが仕事ですが、時には皇族たちの先生でもありました。

当時、陰陽道の勉強が進んでいたことを考えると、当然道真も学んでいたことでしょう。彼のことですから、極めてしまって鬼神たちと生前から通じていた、なんてことも容易に想像できますね。死んでから色んな力を使えたことにも得心がいきます。

彼の魂をなだめ鎮めたのは、エライ修行僧でした。彼の父も相当凄腕の僧やったんですが、道真が凄すぎて一旦退散します。そして息子に26年も修行させて、息子は道真と対話するに至ります。

散々話を聞いてあげた結果、神さまとしてお祀りすることになりました。天神さまの誕生です。

京都にある北野天満宮が、その総本社です。もちろん、太宰府天満宮も総本社ですよ。天満宮と名のつく神社はすべからく天神さまをおまつりしています。

太宰府天満宮

太宰府天満宮の本殿です。
絢爛豪華!!美しい・・・

お参りを済ませた後は、

太宰府天満宮

学業成就のお守り!
ただ、最近の入試は厳しいらしく、
こういう文字の入った鉛筆を
禁止しているところもあるそうです。
だから普段の勉強に使ってもらいたいですね。

こうして旅行や観光から日本を知り、文化や歴史を大切に考えてくれる人が増えたら幸いっすね。道真については、また深く掘り下げて記事にして皆さまに知ってもらいたいものです。縁起絵巻まで紐解いた若造は、なかなかいないでしょうからw

太宰府天満宮
福岡県太宰府市宰府4丁目7−1
Mapはこちら

 



 

 

空前の人だかり!
梅ヶ枝餅と新元号「令和」の関係とは

お参りも済ませたので、
ここからはグルメタイムです!

太宰府天満宮といえば、菅原道真。
菅原道真といえば、梅。
梅といえば、
梅ヶ枝餅(うめがえもち)!!

参道沿いには梅ヶ枝餅のお店が
数店舗並んでいます。

太宰府天満宮は福岡の一大観光地。
普段から人が多いそうですが、
2019年のGWは10連休ということに加え、
元号が平成→令和に変わったことにより
いつも以上に凄まじい人だったようです。

令和と梅ヶ枝餅の関係って、何なんでしょう。
ちょっと乗っかりすぎな感じですが、

「令和」
『万葉集』のうちの
「梅花の歌三十二首并せて序」出典
初春の月にして、気淑(よ)く風ぎ、
梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、
蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す。
(大伴旅人?諸説あり)
※※
梅花の歌
※※
梅つながりで、大宰府フィーバー
ついでに梅ヶ枝餅フィーバー

とはいえ、ぼくの人払いの力も負けてません。
ぼくが境内に入ると人が減り、
お店に近づくと行列が消えるという
稀代のヒーローDNAの持ち主。w

梅が枝餅 寺田屋

今回は寺田屋さんの行列を消してきました。
寺田屋さん、本当にすみません・・・w

寺田屋さんを選んだのは、2つの理由があります。
①店内で食べられる
②庭園が見られる

庭園見たさに事前に調べておいたのですが、
寄り道しすぎたために今回は食べ歩きに。
残念。

梅が枝餅 寺田屋

はっ
写真撮る前に食べてしまった!
食べかけですいませんw

焼きたてをいただくと、
表面はパリッと焼いてくれてあり、
梅の花の刻印がありました。

こうして何の気なしにお餅を食べていますが、
梅ヶ枝餅の発祥には
悲しくも温かい歴史がありました。

梅ヶ枝餅の起こり

道真は大宰府に左遷されたと、前でお話しました。でも大宰府の官職というのはエリート街道の一つでした。ただそれは「太宰権帥(だざいのごんのそち)」という大宰府のトップであり、道真に与えられたのは「太宰員外帥(だざいのいんがいのそち)」というもので、左遷用のポスト(当時、2つの役職の区別はなくなりつつあったという説もあります)。道真は大宰府に出入りすることすらできなかったといいます。

それどころか床も抜けているようなあばら家で生活することを強いられていたようです。手柄を立てて京都に戻るということもできなかったんですね。

しかもこの時、道真は57歳。当時、衣食住が十分に揃っていた貴族の平均寿命が大体30歳くらい。だいぶお爺ちゃんです。ちょっと、もう頑張れないですよね・・・。

日々の食事も満足にままならない暮らしを見かねたお婆さんが、道真にお餅を世話していた。その餅は梅の枝に巻き付けられていたといい、それが梅ヶ枝餅の発祥といわれています。

祟りのイメージが強い道真ですが、それは大鏡以降の創作によるところが大きいです。史実では大宰府に移った後も、自らの無実と宇多天皇への感謝、国家の安泰を願っていたといいます。まあ、祟りやと騒がれたのは本当みたいですが。

 

梅ヶ枝餅のお店は他にもたくさんあります。
どれも参道沿いにありますので、
目ぼしいところで買われてみてはいかが。

太宰府の梅ヶ枝餅・飛梅漬本舗 寿庵寺田
福岡県太宰府市宰府4丁目6−15
Mapはこちら

 

さて、そろそろ薄暮も迫ってまいりました。
来た道を戻って、
街中の神社をもう少しだけ巡ります。

前編・中編は、こちらからどうぞ・・・

博多の歴史を駆ける!櫛田神社から大宰府・水城まで!前編

博多の歴史を駆ける!櫛田神社から大宰府・水城まで!中編

 



 

 

 

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