ずっと気になっていた緑ゾーン
博多へは何度も足を運んでいますが
ずっと気になっていた場所があるのです。
それがこの、「西公園」
公園にしてはデカすぎるし
公園にしては広場なさすぎるし、
ぽつねんと神社はあるものの
境内にしては広すぎる。
近くを何回か通ったことはあるものの、
正面をふさぐ激坂にいつも
見て見ぬ振りをしてきました。w
初めて坂の上の公園の様子を覗いてきました。
今回のラインナップは、こちら・・・
◆坂の上の光雲!
「光雲神社」お参りは激坂上るお覚悟を
◆黒田官兵衛と長政親子って何した人?
◆お賽銭と同時に響く〇〇の声
坂の上の光雲!
「光雲神社」お参りは激坂上るお覚悟を
先ほど申し上げた激坂は、こちらです。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/857CD3ED-2493-4349-81A7-F7BD94868EB6-768x1024.jpeg)
写真では伝わり辛いなあ。
まあまあの斜度で、延々と続くのです。w
坂が終わったら、次は階段がお出迎え。過酷。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/AEC0DCB9-4CB8-4BF7-ABA0-D7B7807D0045-1024x768.jpeg)
撮影時は5月頃でしたが
階段を上がる頃にはばっちり汗ばんでいました。
そして階段途中の広場?踊り場?では
少年少女たちが水鉄砲で撃ちあいをしていました。
流れ弾をかわしつつ、階上へ向かいます。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/8DE4770F-091D-497E-B2D2-CF98AA593AFB-1024x768.jpeg)
光雲(てるも)神社へやってきました。
幸運を呼ぶ「幸運の鈴」ですか…
え、まさか、光雲(てるも)を音読みしたら
「こううん」やから…?
ははッ
ま、まさかね!!ww
鳥居の足元には
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/B7610ADB-5D9C-4C28-98C8-A426C211F645-1024x768.jpeg)
おみくじマシーンがありました。
30円って、安いな!
人件費かからんからできる価格設定ということかw
境内に入るとすぐ、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/20D76C75-DA9A-417A-B56C-B24B89161066-1024x768.jpeg)
兜の銅像や
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/348DD879-0822-4C2A-9ECE-75244583ED70-768x1024.jpeg)
槍を持つ凛々しいお侍さまが。
どちら様かしら・・・?
黒田官兵衛と長政親子って何した人?
武将らしき銅像があったのには
光雲神社の成り立ちに関係するようです。
光雲神社
黒田官兵衛・長政親子を祀る神社。親子の法名から1文字ずつもらって名付けられた。境内入り口には長政愛用の水牛の角の兜、そして黒田二十四騎の1人、母里太兵衛(もりたへえ)とその愛槍、日本号の銅像がある。
母里太兵衛はとんでもない酒豪だったようで、出張先の上司に大きな盃になみなみに酒を注がれ、それを一気飲みさせられたそうな。パワハラやん。w でもその甲斐あって、褒美に日本号という名槍をもらったことから、「呑取り日本号」の異名を冠するように。お酒が飲めるっていうのも、才能なんすなあ。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/F5FDC917-4693-4B2F-A58B-99161E35B11C-1024x768.jpeg)
拝殿までやってきました。
これでもかってくらい
おみくじマシーンが並んでいますw
拝殿向かって左手を見ると、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/84105558-B3E1-4244-B194-514F019564DF-1024x768.jpeg)
小屋?がありました。
「光武荒津館」とありますが、のぼりを見ると
「柳生新影流兵法」と書かれています。古武術?
でも道場サイズではないので
資料でも保管しているのかしら。
そういえば黒田親子って
何をなさったのか、ご存知かしら。
黒田官兵衛・黒田長政
黒田官兵衛は秀吉に長年使えた軍師。有能すぎるあまりに秀吉からは信用されておらず、圧倒的な勲功を上げるも少ない所領しか与えられていなかったという、ちょっと可哀想な人物。朝鮮征伐にも赴くことになるものの、秀吉死後、朝鮮から帰還するも秀吉を失った武将たちは対立を始め、やがて関ヶ原の戦いへと発展していく。
関ヶ原の戦いは東軍と西軍が戦ったわけではあるが、誰がどちらに味方するか、多数派工作が戦局を分けるような戦。ここでの功労者が、官兵衛の息子、黒田長政でした。秀吉配下の武将筆頭格である福島正則を東軍(家康軍)に引き入れ、そして勝敗を分けたとされる小早川秀秋の寝返り工作にも尽力。この工作のおかげで、天下分け目の戦いは1日で幕を引くことに。家康からも関ヶ原一番の功労者として評価され、元の3倍の領地を与えられることに。
官兵衛は大河ドラマにもなっていますし
200人の軍を1万3000人まで膨らませた手腕。
数々の偉業から知名度はあると思うのですが、
九州を治めていたというのは、歴史好きでなければ
あまり知られていないかもしれませんね。
というかこの光雲神社も、地元の人に話しても
「それ、どこの神社?」
と首を傾げられたことしかありません。
すごい親子を祀ってるのにねえ、
あの激坂のせいかねえ。ww
お賽銭と同時に響く〇〇の声
そういえばまだ狛犬を見ていませんでした!
恒例の狛犬チェック!!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/364071F7-B2FD-4C50-A619-17AE38AD8633-1024x768.jpeg)
はぇ?
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/61240A28-835D-4E17-9AAC-0C03C8E20362-1024x768.jpeg)
あれ??
暗殺者に首ゴッキーやられてません?ww
まあ、わざとこう作ってあるんですよね、
なんでこんな無残な態勢になってるの・・・www
色々調べてみたところ、
市民を見守るためにそっぽを向いているそう。
それにしても、かなりつらそうな態勢です。w
狛犬にも大層仰天しましたが、
まだまだ驚きは待っていました。
拝殿でお賽銭を投げると、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/DBB0D40F-CBEA-4140-807B-19FB13E535A7-1024x768.jpeg)
ケケーンケンケンケーン!!
お賽銭と同時にまあまあの音量で
鶴が鳴いてくれます。ちょっと怖いですw
動画も撮って見たので、音量を小さくしてどうぞ。
ね?
何の気構えもなしに鳴かれたら
びっくりしません?ww
別に目立ちたくないのに、シャンパン頼んだから
ホストのお兄さんたちがいっぱい集まってきて
コールが始まった時の所在なさに近い気がしますw
・・・ちなみに1円をそっと入れるだけなら
鳴きませんでした。
文字通り、現金な鶴でございました。
光雲神社
福岡県福岡市中央区西公園13−1
Tel: 092-761-1807
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