薄さ10cmの古墳!?400mの廻廊!!?岡山は楯築遺跡→吉備津神社へ!!

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晴れの国・岡山へ

前回はコンビナートの見える丘で
野宿をしました。

岡山=石油化学コンビナート!太田和彦キモイリの居酒屋→野宿で水島、夜通し撮ってみた

朝は迷惑にならないように、
前夜どんなに深酒していても
早起きするようにしています。遅くても7:00。
野宿erとしての当然のマナーです。w

今回は厚み10cmほどの古墳と、
400mもの廻廊をもつ神社を訪ねます!
ラインナップは、こちら・・・

◆日本のストーンヘンジ!
「楯築遺跡」この薄さは世界イチ?
◆『雨月物語』にも登場する神社
「吉備津神社」に伝わる怪談
◆桃太郎のモデルになった神さまと
権力にまつろわぬ温羅(うら)
◆岡山駅へ帰る前の腹ごしらえ!
「アーリーバード」
ここでまさかのピネライス!?

 

日本のストーンヘンジ!
「楯築遺跡」この薄さはもしや世界イチ?

テントを撤収してからどこへ行こうかと
地図を調べていたら、有名な古墳のお名前が。

王墓の丘史跡公園へやってきました!
ここからは少し坂をあがりますので
キャンプ荷物は置いていきます。
まあ、karateの香りの染みついた上着類、
盗るモノ好きもおらんでしょう。w

ここの坂をあがっていきますと、

少し開けてきました。
この建物の奥に、

見えてきました!

楯築(たてつき)遺跡です!!

顔料の跡、でしょうか。
少し橙がかっているような。
大きさにも驚くのですが、何よりこの

薄さたるやッ!!!

グレートだぜ。
え、これコツコツはがしていったんかな。
途方もないな・・・

楯築遺跡

弥生後期の双方中円形墳丘墓。国の重要文化財に指定されている。5枚の巨石は元々あった木棺を囲うように配されており、斜面部にも20個もの列石が見られる。列石の中には意図的に破壊されたものも。団地造営の折に一部損壊、また西部には貯水タンクが設置されており、現在は確認できない。

ちょっと重文への扱いが雑とちゃいますかww

いやはやしかしこれは、
岡山のストーンヘンジと呼んで差し支えないすな。
現在、中央には小さな祠が建てられています。

中には小さな石碑が。
イマイチ文字は判然としません。

そして他にもここへくる道中に

たくさんの古墳群に遭遇。
どれが古墳なのか、区別がつかん。w
もう少し詳しい説明書きがあってもええのになあ。

解説はこれが限界。
結構大層なものが眠ってらしたようで。

こちらの古墳、住宅街のど真ん中にあるのですが
あまり観光地ナイズされておりません。
こんなに珍しい古墳なのに、もったいない!!

アンバサダーがいれば立派な観光地になりそう。
やれと言われればkarateが務めましょうとも!
楯築遺跡観光大使、任命お待ちしております。ww

楯築遺跡
岡山県倉敷市矢部
24時間開放?



『雨月物語』にも登場する神社
「吉備津神社」に伝わる怪談

前の楯築遺跡から少し東に向かいます。
岡山といえば!といえる名所は楯築遺跡から
チャリでも難なくアクセスできます。
・・・これは楯築遺跡と抱き合わせで
売り出していかんとあきまへんな。w

吉備津神社です!!
すぐ近くに吉備津彦神社もあるのですが
karateはこっちのほうが好みです!

狛犬たちは小顔タイプ。
からの!境内入ってすぐの、

この長い廻廊!!

全長400mあるそう。
体感、もっと長く感じたなあ。

終盤は坂になっています!

吉備津神社も吉備津彦神社もともに
大吉備津彦命をお祀りしています。

吉備津(きびつ)神社

第七代・孝霊天皇の第三皇子である五十狭芹彦命が、大吉備津彦命(いさせりひこのみこと)として祀られている。山陽道、吉備国で民を苦しめていた温羅(うら)を、弟と協力して平定。吉備津神社は本来、吉備国の総鎮守であったものの、吉備国は三国に分かれ、分霊を吉備津彦神社・吉備津神社にお祀りしたとされる。

 

さて、奥へ進んでお参りを。

立派な扁額もさることながら、
「平賊安民」という文字が気になります。
賊というのは恐らく、
温羅(うら)のことでしょう。

温羅といえば、とされている存在ですな。岡山には言わずもがな、桃太郎伝説がありますが、この温羅退治がモデルになったとも言われています。でも実際は百済からの渡来人が温羅と呼ばれたそう。温羅たちは貢物を含めた輸送物を奪ったり、女性をさらったりして民たちを随分苦しめたとか。

温羅がどんな渡来人やったかって?
実はその身長、なんと4.2m。w
しかも赤髪って、ほんまに朝鮮人なん?www

温羅と五十狭芹彦命のバトルは弓矢での戦い→変化バトルへと発展していきます。やっとの思いで温羅の首を切った五十狭芹彦命は首を地中に埋めるも、13年間ずっと地中でうなり続けていた。温羅の妻に神事を行わせると、やっと声は静まったそうな。

実はその神事、現在も続いています!

※Ⓒ岡山県観光連盟

鳴釜(なるかま)神事

窯の上に蒸籠(せいろ)を乗せて米を蒸し、窯を焚いた際に鳴る音によって吉凶を占う神事。強く長く鳴るほど良いとされている。

 

珍しさもあってか様々なメディアで
取り沙汰されていますが、
karateにとってはまさに「吉備津の釜」
思い出させるものなので少し恐ろしいというか、
畏れを抱かずにはおれません・・・。

『雨月物語』というのは上田秋成(あきなり)の著書で、怪異物語集です。現代人っぽい名前ですが、江戸後期の方です。その中の一つに「吉備津の釜」というお話があります。

karateが『雨月物語』を読んだのは中学生の頃。ちょうどポーやアガサ・クリスティーに並ぶようなミステリに飽きはじめ、現代ミステリ(最初に読んだのは乙一でした)に手を出し始める過渡期でした。元々グリム童話や日本の昔話のうちの、ほの暗い話が好きだったこともあり、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を読んでいたころに人づてに聞いて読んだものでした。

日本の古典の面白いところの一つに、冒頭部の語りにあります。結論めいたことを、筆者の主観たっぷりで話し始めるのです、話の枕としては最高の構成です。
※短くまとめていますがそれでも少し長いので、お急ぎの方はスキップしてくださいね。

「吉備津の釜」

吉備の国に、正太郎という若者がおった。家は百姓ながら豊かなうちに入り、不自由ない生活をしていたものの、かの正太郎は農業を嫌うあまり酒と女におぼれ、ろくな男ではなかった。
父母は正太郎の性根を変えるべく、吉備津の宮の見目麗しい娘、磯良(いそら)との縁談をまとめる。
結納の折、御釜祓いの神事を行い吉凶を占った。吉兆ならば牛が吠えるように鳴り響くのだが、釜は秋の虫が草むらで鳴くほどの音もたてない。この凶兆に娘の父は婚儀に疑いを持つものの、周囲の総意により無事結婚とあいなった。
しかし次第に生来の浮気性が正太郎に立ち現れ始めた。とうとう遊女である袖となじみ深い仲となり、正太郎は家へ帰ってこなくなった。正太郎の父は見るに堪えかね、彼を監禁してしまった。
それだけの仕打ちを受けてなお、磯良は甲斐甲斐しく正太郎の世話をし、家にも奉公し、また袖が生活に困らぬよう援助をしていた。しかし正太郎は磯良を口説き落とし大金を用意させ、それを持って袖とともに駆け落ちしてしまい、行方不明に。
袖とともに暮らせることを喜んだ正太郎であったが、袖は病を患い七日で亡くなってしまう。菩提をたてて丁重に弔っていると、隣に新しい菩提が。そこにお参りする若い女性に声をかけると、
「私がお仕えしている方のご主人様が亡くなり、お参りしているのです。」
と申すではないか。同じ境遇同士、慰めあえることもあろうと話を持ち掛けると、屋敷へ案内してもらえることに。だが、そこにはなんと磯良の姿が。
「どれほど辛かったか、思い知らせてやろう」
そう言われた正太郎は、その場で気絶。目が覚めるとそこに屋敷はなく、僧が修行する粗末な小屋であった。あまりの出来事に知人の彦六から陰陽師に相談しろと言われ、陰陽師のところへやってきた。すると陰陽師は正太郎にこう告げた。
「あなたは人の恨みから、今日明日とも知れぬ命。帰って戸に札を貼り、四十二日間、物忌み(外へ出ないこと)をなさい。さすれば助かるかもしれぬ。」
それを聞くや否や正太郎はすぐに家へ帰り、四十二日の間、ずっと家へ引きこもった。
その日の夜、部屋へ引きこもっていると外から声がする。
「護符なんぞ貼りおって、憎らしい」
それから毎夜、屋敷の周囲をめぐり、外の声は夜ごとに怒りを増していった。
そうして四十二日が過ぎ、彦六が戸を開けた瞬間、中から正太郎の悲鳴が聞こえた。何かあったに違いないと斧を取りに戻ると、明けたはずの空がまだ暗いままであった。慌てて正太郎の家へ戻るも彼の姿はなく、外へ逃げたかと思い振り返ると、さっき開けた戸のあたりに血が一面に飛び散っていた。しかし肝心の亡骸が見当たらない。外へ出てふと見上げると、何やら動くものがあった。よく目を凝らしてみて見ると、それは男の髷(まげ)だった。軒先に正太郎のものと思われる髷が、ぶら下がっていたのだ。髷の他には何も見当たらないというのに。

 

いや、
正太郎の自業自得やんけ!と思うのですが
女の子の嫉妬、めっちゃ怖いやん…というのが
karateの素直な感想でしたw

さすがは中国地方、都に引けを取らぬ
怖気の走る物語をお持ちで。
掘ってみたら色々と魅力を発見できそうやな。



桃太郎のモデルになった神さまと
権力にまつろわぬ温羅(うら)

それにしても温羅の話を聞くと、
少し悲しくなってしまいますね。

最後までヤマト朝廷に抵抗した勢力が温羅でした。
でもそれをひとくくりに悪者とするのは
いかがなものかしら、と。

その地方一帯を支配していたということは、それなりの軍事力があったってことですよね。
鬼ノ城を見ると朝鮮式の山城を立派に建設していますし、土地の民から上納金的なものをぶんどっていても、当時からすれば当たり前のこと。
貢物を奪っていたのは貢物目当てではなく、ヤマト朝廷の力を少しでも削ぐという目的であれば賢い行いだと思います。
若い女性をさらっていたというのはよくわかりませんが、部下の嫁探しということであれば納得がいきますな。

歴史は勝者によって作られるので、
どうしてもフェアな見方が難しい。

敗者に思いを馳せてしまうのは
日本人ならではの感性なんでしょうかね。
・・・え、もしかしてkarateだけ?w

 

拝殿でお参りを済ませたので、
さらに奥へ進んでまいります。

拝殿と本殿が連結している!
入母屋造(いりもやづくり)・夢の合体!!

しかもめちゃデカいやん。
さすが足利義満、ええ仕事しはる。

奥にある階段をあがると、

一童社があります。
学術・遊芸の神さまをお祀りしています。

たくさん絵馬がかけられていますが、
大体受験生のものでした。

その他にも廻廊途中に

多くの摂社・末社がありました。

そして境内には

梅も美しく咲いていました。

鳥たちも楽しく歌っています。
そういえばここへ来たの、
3月くらいやったかしらね。w
随分書くのが遅くなってしまいました。

まもなくわが人生の一大事がやってきます。
一度、占ってもらいに行こうかしら。

吉備津神社
岡山県岡山市北区吉備津931
Tel: 086-287-4111
4:30~18:00



岡山駅へ帰る前の腹ごしらえ!
「アーリーバード」
ここででまさかのピネライス!?

岡山駅へ帰る道すがら、
空腹に耐えかねて喫茶店へ。

たまたま通りがかった
「アーリーバード」さんへ。

この吹き抜けと天窓、ええわあ。
メニューはよくある感じだったのですが
オムライスにカツをトッピングしました。

あれ、なんかこの姿、見たことあるような…

あ、ピネライスっぽい!!
とはいえピネライスはたぶん、
京都の人にしか通じない単語ですよね。
トルコライスっていえばいいのかしら?

でもこんだけはしゃいでおいて何ですが、
ひょっとしてオムライスにカツのトッピングって
普通にあったりします…?
あったら恥ずかしいな。w
あんまり外でオムライス食べへんもんでww

コーヒーもついて、大満足でした。
ごちそうさまでした。

アーリーバード
岡山県岡山市北区中撫川394
8:30~18:30(月曜定休)