歴史の詰まった北九州市
角打ちへ行くという本来の目的を
すっかり忘れて、
北九州の歴史に頬を赤く染めるkarate。w
地図を見ると小倉城近くに
八坂神社の名前を見つけました。
京都人としては、参拝せずにはおれますまい!
今回のラインナップは、こちら・・・
◆京都の八坂神社との関係は?
「小倉の祇園さん」と呼ばれる八坂神社
◆小倉の祇園さん=もふもふ?
◆八坂神社は猫パラダイス!
◆廃城後は遊園地!?
◆八坂神社と小倉城の変遷
京都の八坂神社との関係は?
「小倉の祇園さん」と呼ばれる八坂神社
小倉城のすぐ近くに

「小倉の祇園」さんこと、
八坂神社がございます。
こちらの大鳥居と拝殿の扁額の文字は、
今は絶家となった有栖川宮様の文字だとか。
有栖川宮といえば、有栖川流書道や
公武合体の人柱となった和宮様が
思い出されますな。

こちらが正門。
正門にある文字はいくら調べても
わからず終い・・・
「豈」の字がある辺り、漢文かしら。
それにしたって正門の看板に
反語はおかしいような。w

本殿に到着しました。
やっぱり京都の八坂に似ている気がします。
小倉の八坂神社
元は祇園社と呼ばれていた、京都の八坂神社と同じく須佐之男命(スサノオノミコト)をお祀りする神社。870年から続く歴史ある神社であったが、明治の神仏分離令により、神社が祇園という仏教用語を使うことが認められず、八坂神社に改められた。厄除け・病気平癒・縁結びのご利益がある。
毎年7月には小倉祇園太鼓という
お祭りもあるそう。
太鼓とヂャンガラのお囃子とともに
3mほどの小ぶりの山車をゆっくり曳きながら
境内をまわるようです。

狛犬は新しそう。
前の世代の狛犬は撤去されてるんかな?
大体、一緒に置いてあると思うんやけど
見当たらないっすね。

こちらの扁額も、有栖川宮様のもの。
この流れるような優雅な文字、
karateの丸文字とは雲泥の差。
雲泥どころか、大気圏と地核の差・・・w
本殿から脇にそれていくと、

渡り廊下がありました。
空中式ですが、階段付なのは珍しいかも。
拝殿と社務所で高さを揃えずに作ったんかしら。
奥へ進んでいくと、

神明神社のお社が。
天照大御神を御祭神に祀る神社ですが、
随分ひっそりとしています。
奥には、

納札所が。
ドーム型って初めて見ました。

中もこんな感じ。ドーム。w
かまくらみたいで、ちょっとワクワクします。
奥には賽銭箱もあり、こちらにも
神さまがお祀りされているようです。
福岡の寺社仏閣を巡っていて思うのですが、あんまり説明書きがないというか、観光用の地図はどこで手に入れるのかわからないというか・・・
そう感じるのは、京都が至れり尽くせりすぎるせいもあるのでしょうか。観光客ウェルカム!という感じじゃないんですかね。
幸い、karateは古文オタクなので歴史や漢文、変体仮名に明るいおかげで、碑文や歴史上の人物名から背景がわかりますが、一般の方は断片的な情報を見て、きちんと楽しめているのか心配になっちゃいます。
・・・何なら、karateが書いてしまおうか。w
小倉の祇園さん=もふもふ?
八坂神社は猫パラダイス!
そういえば道中、
たくさんのもふもふと出会いました。

凛々しくkarateに突進してきたにゃんこ。

それを心配そうに上から眺めるにゃんこ。
なーごなーご、鳴いていました。

我関せずとピクリとも動かない
ワイルドにゃんこ。
他にも2匹ほど、にゃんこに出会いました。
恐らく皆、野良やと思うんですが
なしてこんなに集まってくるのかしら。
誰かエサあげてるんかな、
神社の方に迷惑かかってないかな・・・
と心配していた矢先、
エサをあげる人物が!!
ありのまま、今起こったことを話すぜ!
俺は猫の前でニヤニヤしていたと思ったら
いつのまにか白衣に袴姿の男が
猫にエサをやっていた。
・・・どうやら神社公認にゃんこのようです。w
余計なお世話でした、すいやせんでしたww
でも本当にそこかしこに
ポツポツの猫の姿があって
気持ちよさそうに日向ぼっこしていました。
尾道にある「猫の細道」より、
余程にゃんこがいるような気がしますww
廃城後は遊園地に!?
八坂神社と小倉城の変遷
八坂神社の東側に出てきました。

立派な楼門です。
何なら正門より立派ちゃうか。w
それにしてもこの八坂神社、

立派な石垣と城郭に囲まれています。
そのまま流れていくと、

小倉城。素敵。
実はこの小倉城、1959年に再建されたもの。19世紀初めに失火により本丸が焼失しており、加えて第二次長州征伐時に、小倉藩自ら城郭を焼き払っています。
明治に入ると城は一旦陸軍省の管轄に置かれ、廃城令によって95%近くが廃城になりました。要塞に使おうにも、維持費がとんでもなくかかるというところがあったようで、一部は民間に払い下げられた城もあったとか。あの姫路城が約23円だったというから、驚きますな。明治30年頃の公務員月給が8~9円ということを考えると、いかに安かったかがうかがえます。小倉城は既に天守もなかったのですが、その後は陸軍の施設が建設されました。

戦争も終わると小倉城が再建されますが、史実と随分異なる様相での再建でした。本当は破風がんはかったそうなのですが、破風がないと城らしくないということで、付いてしまったとか。そして敷地内にはなんと、遊園地までも建設されてしまいます。ジェットコースターの背景に小倉城がのぞくという、不思議な空間が出来上がったようです。良かった、ジェットコースターない時代に観光できて・・・w
同じ敷地内の高倉稲荷大明神近くまで
戻ってきました。

ここには忠魂碑があります。
日清日露の戦没者を弔うためのものかしら。
小倉の別の場所にも、忠魂碑があります。
B29に体当たりして街を守ろうとした
勇敢な2人の兵隊さんがいたそうです。
他にも軍関連の石碑、探せばありそうですね。
それにしても

こういう城郭部分も再建なんでしょうか。
随分しっかり作ってあります。

小倉城の裏手へ回ってきました。
破風のないスッキリした小倉城、
見てみたいですね。
あくまで小倉城は外部再建なので、内部は復元されていません。外部も当時のものと異なる姿となると、史料価値も下がってしまいそうなそんな気がします。もったいないっす。
それを差し引いても、この石垣と美しく保存された敷地。そして陸軍管轄時代の跡を残してあるところは唯一無二な気がします。
クラウドファンディングで再現できそうやけどなあ、いくらくらいかかるんすかね。想像つかないっす。
karateが行ったときは、
その翌日に流鏑馬があったそうです。
今はコロナでできないでしょうけど、
お城をバックに、写真に収めてみたいですな。
さて、次こそいよいよ角打ちへ!!
ディープな雰囲気に、郷愁の思いが
さざ波のように打ち寄せました・・・
小倉旅、大學丼編と前編は、こちらから。
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