再びのビワイチ!ロードバイクで琵琶湖1周&湖畔でキャンプ!(2日目 中編② 大通寺お花きつね物語)

長浜 水路 キャンプ
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ビワイチ旅・2日目 中編①

前回は長浜城と黒壁スクエアを尋ねて
黒漆喰の美しさに息を飲んできました。

再びのビワイチ!ロードバイクで琵琶湖1周&湖畔でキャンプ!(2日目 中編① 長浜城→黒壁スクエア)

今回も長浜・黒壁スクエア界隈を
もう少しだけ散策してまいります。

今回のラインナップは、こちら・・・

◆大通寺参道にキツネの姿?
「大通寺きつね物語」ゆかりの地
◆巨大建築に刮目せよ!
「大通寺」は〇〇〇からの移築物!?

 

大通寺参道にキツネの姿?
「大通寺きつね物語」ゆかりの地

商店街をうろうろしていると、

時折、水路が顔をのぞかせます。
もしかしたら長浜城の外堀かも。

別のところには歴史を感じる石垣が残っています。
ここは新しそうですね。崩してしまったのかしら。

それにしても界隈の水路はどこも
高い建物に囲まれていたり、案内板がなかったり
ちょっともったいない気もします。

古地図を見る限り、長浜城下はそれはもう、
立派な水運都市でした!!
水の上にお城があるような、神秘的な造り。
山の上から望んでみたかったな・・・

 

さらに奥へ進んでいくと、

お寺っぽい山門が見えます。
結構立派な感じ・・・

と、油断していると、

これまたひっそり水路が・・・

って、あれ?
なんだか、キツネに見えるような・・・

完全にキツネモチーフでした!!

大通寺には『お花きつね物語』という
昔話が残っているそうです。

案内いわく、この石柱のインターホン?を押せば
メルヘン?が聞こえてくるそうです。
何のことやら・・・w

恐る恐る押してみます。
ポチっとな(古)

・・・確かにメルヘン?な音楽が流れ始め、
昔話の朗読が始まりました。

このメルヘン、結構なボリュームです。w
恥ずかしくて逃げ出したくなるくらい、
あたりに響き渡りますww

大通寺お花きつね物語

昔から大通寺の大広間の天井には、キツネが住んでいると言われています。天井へはハシゴがかかっていて、油揚げをお供えする人が多くいたとか。

時代は江戸までさかのぼります。当時、大通寺は長浜城跡にありました。もっと賑やかな街中への移転案が出たときに、賛成派と反対派で大揉め。東本願寺のエライお坊さまに判断いただくべく、賛成派は琵琶湖を舟で渡って京都へ、反対派は歩いて京都へ向かいました。

その道すがら、反対派一行は途中で茶店に立ち寄ります。茶店の娘はお花といい、丁寧なおもてなしに一同すっかり気を良くしてしまい、酒を飲んで酔っ払ってしまったこともあってか、その日はそこへ泊まることに。しかし翌日出発すると、川が増水していたため渡ることができません。水が引くのを待つこと5日、ようやく渡れたと思うと、帰路の賛成派一行に出くわします。聞けば既にお坊さまから移転の許可をいただいてきたとのこと。決まってしまったことはもう仕様がありません。

反対派一行も帰路につくと、あの茶店の姿がありません。当然、お花さんの姿も。地元の村人に尋ねると、「そんな茶店はない」という。
「そういえば大通寺のキツネも、お花という名前であったか。キツネに化かされたのかもしれない。キツネが移転に反対なら、仕方がない」と、移転問題は一件落着。めでたしめでたし。

 

お花キツネのお話は江戸時代のことなので、
そこまで古いものではありませんね。

それにしても揉め事をキツネが解決するとは。
それだけ人々の生活に、
生き物が身近だったということでしょうな。

「お花さんのおはなし」石柱
滋賀県長浜市元浜町15−1近くの橋
Mapはこちら
※長浜御坊表参道、「居酒屋えん」の南側の橋

 



巨大建築に刮目せよ!
「大通寺」は〇〇〇からの移築物!?

昔話を堪能して、そのまま奥へ進めば
長浜別院大通寺があります。

ちょ、デカくないですか・・・?
この巨大さ、京都駅近くにある
東本願寺の香りがします。

無碍智山(むげちざん)とありますな。
無碍は「融通無碍(ゆうづうむげ)」の無碍ですね。

碍というのは、障害のこと。
つまり、障害がないことを無碍といいます。

おそらく四無碍智(しむげち)から
きているのだと思いますが
勝手に四を取ってしまって良かったのかしら・・・
四無碍智は、仏さんがもつ物事を自在に理解したり、
表現したりする四つの能力のことです。

彫り物も立派・・・!

本堂もデカい。
何でも、伏見城から移築したものだとか。

伏見城といえば、豊臣秀吉が築いたお城。
ここにも秀吉の遺構を見られるなんて。
さすが天下人やなあと、しみじみ。

実はこの大通寺、教如が開基のお坊さま。
歴史の表舞台にも登場するキーパーソンなのです。

顕如と教如の親子 

開基は教如(きょうにょ)信長とバチバチにやりあった顕如の息子。あの信長を10年にわたり苦しめたお坊さまであり、当時の日本中の武将を震撼させた「一向一揆」の中心になった人物。ここまで聞いただけでも、めちゃめちゃヤバいお坊さまです。

信長との対立のきっかけとなったのは、信長からの束縛でした。足利義昭を将軍に担ぎ上げて上洛した信長は、当時戦国大名にも匹敵する力を持っていた本願寺に、様々な制約をつけていきます。顕如の堪忍袋の緒を切ったのは、信長からの「石山本願寺を渡せ」という命令。さすがの顕如もブチギレ。信長に敵対していた三好、信長と不仲になりつつあった足利義昭、浅井、武田、朝倉、そして現在の和歌山にいた鉄砲集団・雑賀衆、四国の毛利とも包囲の準備を進めつつ、信長を攻め続けます。が、それも退けてしまう信長、さすがっす。

窮した顕如は信長との和睦を選択。しかし息子の教如が猛反対、勝手に抵抗を続けてしまいます。それでも何とか教如を追い出したものの、直後に本願寺は炎上、燃えてなくなってしまいました。そうこうしているうちにライバルの信長が本能寺の変で亡くなり、豊臣政権に移ります。何と秀吉は本願寺跡に大坂城を造っちゃった。本願寺、ピンチ!しかも秀吉の命令によって本願寺は京都へ移転。加えて教団のカリスマ・顕如が間もなく亡くなります。本願寺、絶体絶命の大ピンチ!!

本願寺の跡継ぎには、顕如の三男・准如(じゅんにょ)が選ばれますが、そうこうしているうちに時の政権は徳川家康へ。実は家康は、教如派でした。せっかく本願寺に跡継ぎが据えられたのに、家康は教如に莫大な土地を寄進します。こうしてできたのが、東本願寺。区別するため、本願寺は西本願寺と呼ばれるように。

 

恐るべし、お坊さま。
カトリック宣教師たちとはまた違った
恐ろしさがありますな。

 

横から見ても、隙が無い。さすが秀吉。

山門も横から見てみましょか・・・

こちらも隙がない!
1階部分に屋根はあるものの、楼門のような構造。
2階にもあがれるんかな?関係者だけやろか。

この辺りは平地なので、
さぞ琵琶湖がキレイに見えるやろうなあ

 

長浜別院 大通寺
滋賀県長浜市元浜町32−9
Mapはこちら

 



 

さて長かったビワイチ旅も、次回で最終回です。
湖北を周って湖西を攻めてきます。

1日目の旅は、こちらからどうぞ・・・

再びのビワイチ!ロードバイクで琵琶湖1周&湖畔でキャンプ!(1日目前編 かね安・たねや・八幡堀)

再びのビワイチ!ロードバイクで琵琶湖1周&湖畔でキャンプ!(1日目中編① 日牟礼八幡宮・安土城跡)

再びのビワイチ!ロードバイクで琵琶湖1周&湖畔でキャンプ!(1日目中編② 安土城跡)

再びのビワイチ!ロードバイクで琵琶湖1周&湖畔でキャンプ!(1日目 後編 日本酒Bar masumasu→キャンプ飯)

 

2日目は、こちらから・・・

再びのビワイチ!ロードバイクで琵琶湖1周&湖畔でキャンプ!(2日目 前編 彦根城→良畴寺 琵琶湖大仏)

再びのビワイチ!ロードバイクで琵琶湖1周&湖畔でキャンプ!(2日目 中編① 長浜城→黒壁スクエア)