お待たせしました、角打ち旅!
前々々回、前々回、前回と
寄り道編だけで3回にわたり、
4本目にしてやっと本題に入りますw
角打ちといっても、駅前にあるような
なんちゃって角打ちへは行きません!
karateの社交性に、こうご期待!!
今回のラインナップは、こちら・・・
◆市場の姉さん方に聞いたおススメ!
「北九州角打ち文化研究会」って何??
◆小倉駅から歩いて10分!
「平尾酒店」の角打ちへ!
◆角打ち文化の生まれた土壌!
◆地元のおじさんに聞く歴史
市場の姉さん方におススメ聞いてみた!
「北九州角打ち文化研究会」って何??
さて、北九州に知り合いのいないkarate。
いいえ、さっき知り合いはできました!!
旦過市場のお姉さん方!!w
いったん旦過市場まで戻ってきました。
大學堂のお兄さんにも聞いてみましたが
あまり知らないとのこと・・・
角打ちで一人飲みするには
ちと若すぎたかもしれません。w
お姉さん方はすぐさま教えてくれました!
人生経験に感謝!
おすすめを色々聞いてきました!
立呑み処とき
小倉駅前、西側にあるお店。赤い看板と、
ホロに大きく「立呑み」の文字が目印。
1人では非常に入りづらい雰囲気を
醸し出しているそうです。w
今度、前くらいは通ってみようかな・・・
田中屋酒店
これぞ角打ちといった雰囲気。
カウンターには赤いフタの駄菓子ケースが
並んでいるとか。最高っすね!
二桁のメニューもあるとか・・・
こちらも小倉駅近く、東側にあるそう。
他にも数店、お聞きしたのですが
気になる単語が出てきました。
おば「そんなに角打ち気になるんなら
◆◆◆『北九州角打ち文化研究会』で
◆◆◆調べてみ!」
北九州角打ち文化研究会、とな・・・?
HPを見ると、可愛くて温かいイラストが。
観光案内所に角打ちbookがあるとか。
結構、地域公認なんすね、
その冊子、欲しい!!
でも観光案内所って、何時までやってるんや?
今から戻るのもなあ・・・
角打ちで酔っ払った後、
人と会う約束もしていたので、断念。
と、いうわけで角打ち初心者でも
温かく迎えてくれるというお店に
行ってきました!!
小倉駅から歩いて10分!
「平尾酒店」の角打ちへ!
さっき紹介した2店に比べて
グンバツに駅から遠いですが!
温かいと評判の
平尾酒店へやってきました!!
外から店内をうかがおうとしましたが
ポスターが敷き詰められていて
全く中が見えません!!w
karateが到着する頃にちょうど1名、
お店からお客さんが出ていらしたので
すかさず入ります!
1席だけ空いていましたが
あとは満席。
karate「すいませーん」
・・・お店の方がいらっしゃらない。
おじ◆「まあ、ええから座りい」
karate 「え、勝手に座って大丈夫ですか」
おじ◆「大丈夫、そんなしっかりした店やない」
おっちゃん、めちゃくちゃ言うやんwww
お言葉に甘えて、おずおずと席に座ります。
すると間もなくお店のおばちゃんが!
おば◆「ごめんねえ、待った?」
karate 「そんな、デートみたいなww」
おば◆「さっきのお客さんがビール残してったから、
◆◆◆◆よかったら残り飲んでええよ」
そ、そんな感じなん。www
ほな、お言葉に甘えて。
アテは何にしようかなあ
安っっ!!!
これぞ角打ち・・・!
卵豆腐(¥100)ももらいます。
しかもビール、結構残ってるやんw
karateの角打ちセットが調いました。
まだ100円しか使ってないw
せんべろなんて言葉もありますが
1000円あれば本気で
べいろんべいろんになるんちゃうか。w
角打ち文化の生まれた土壌!
地元のおじさんに聞く歴史
お隣のおじさんは、今しがたお帰りになった
常連さんと随分話し込んでいたようで、
ちょっと放心気味でした。
京都から一人で
本場角打ちを目当てに飛び出してきたこと、
昼間は旦過市場と小倉城を見てきたことを
おじさんに話しました。
そもそも疑問やったんですよね。
こんな昼間から飲み屋さんが開いていたり、中には24時間営業のところもあったり。
平尾酒店は酒屋さんです。お店の端っこにカウンターがありますが、長時間営業されているお店はどちらかというと、定食屋さんの風体だそう。
でもそういうお店も随分減ってしまったみたい。おじさんいわく、現代の産業に、石炭があまり使用されなくなったことが背景にあるようです。
筑豊炭田については、こちらをどうぞ。
筑豊炭田は間違いなく近代産業を支えた、縁の下の力持ちです。
しかし炭田での労働は交替制のところが多く、24時間体制で採掘されていました。筑豊炭田も例外ではなく、三交替制だったそうです。
三番方は午後十時から仕事が始まるらしく、仕事を終えるのは朝。朝から飲める場所がたくさんあった理由もうなずけました。
そして丸源ビルのお話もうかがいました。消防法違反で取り壊しになったとか。
不勉強でしたが、丸源ビルは全国にあったそうです。その昔、小倉の呉服屋さんがテナント業を始めたらしい。
平尾酒店の近くにあった丸源8ビルも、ヒット堺町
ビルがなくなって、人の顔ぶれが随分変わってしまったらしく、人もまばらになってしまったようです。
おじさん
「人はずいぶん減ったなあ。俺らと同じ波長をもつ人らが、めっきり減ってしまったというか。それでもこの店みたいに、同じ場所で、昔と同じ姿でお店やっててくれるだけで、昔の顔ぶれが集まる。携帯電話で連絡せずとも、勝手に集まるし、何となく、何曜日のあの時間帯に行けば、あの人がいるって、わかるもの。」
人が減ったというのは、昔の人が減ったということでしょう。karateのような若造が歩いていても、昼間の仕事をしている人間が歩いていても、その街の風景の一部にはなれないのでしょう。そういう人たちは、おじさんの目には街として映らないのかもしれません。
期せずして、karateの鉢には
Hello my old friends の文字が。
人が変わるように、街も変わります。
街だって生き物のようなものですから
代謝するのは自然なことだと思います。
でも居心地の良い場所というのは
なくしたくないですよね。
色んな事情があって、願いだけでは
どうにもならないこともあるでしょうが、
願いがあれば、生まれるエネルギーも
生まれる行動もありますよね。
18時をまたぐ頃になると、
皆さまお帰りになられました。
家で晩ごはんを召し上がるんだとか。
喫茶店にコーヒーを飲みに来る
そんな感じの場所なんですかねえ。
平尾酒店
福岡県北九州市小倉北区紺屋町6−14
小倉旅、大學丼編と前編・後編は、
こちらから。
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