市内の中心部へ
前回は超マイナー、もとい
超穴場スポットを巡りました。
いったん市内中心部まで戻りまして、
有名やのに皆あんまり行かないという
切ないスポットの魅力を
引き出してまいります。
今回のラインナップは、こちら・・・
◆人肉を食らうまで追い詰めた秀吉!
「鳥取城」吉川経家の壮絶なる戦い
◆鳥取を代表する明治建築!
「仁風閣」名付け親はあの海軍大将!?
◆剣心・左之助の大立ち回り!
「るろうに剣心」の名場面を振り返る
人肉を食らうまで追い詰めた秀吉!
「鳥取城」吉川経家の壮絶なる戦い
鳥取城界隈まで戻ってきました。
鳥取城自体は以前の記事でご紹介しましたな。
丸い石垣に仰天したもんです。
さて、エリアの隅っこに
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吉川経家像がありました。
前に来たときは気付かんかったな。
戦国時代の真っただ中、信長の命で中国地方攻略を担当していたのは羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)。秀吉の部下には天才軍師・黒田官兵衛がいます。徹底した兵糧攻めにより、城内の者たちは4ヶ月の間、食料の補給はかなわず、城内にある馬・牛・カエル・草の根にいたるまで、何でも食べた。中には親兄弟を殺して食べる者まで現れ、経家は降伏を決意。凄惨、の一言に尽きますな。飢えは、本当に厳しい。秀吉は中国侵略の際、惜しげもなくお金と手間と時間をかけて攻略しています。備中高松城の水攻め・三木城の干殺し・鳥取城の渇え殺し
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鳥取城の門が復元されていました。訪れたときはまだ工事中でしたがほぼ完成してますな。
今となってはこうして、地元の人たちや観光客がにぎやかにやってくる場になり、キレイにしてあるのですが、被災の現場のように、当時の面影が偲ばれるような、そういうほの暗い遺産もあって良いかとも思います。ほんのちょこっと、隅っこでいいので…w
どうも日本の伝説や昔話はキレイすぎる。グリム童話のような、不気味さが尾を引くような、そんなお話が子どもたちの耳に入っても良い、入って然るべきだと思います。日本人は、ちと潔癖すぎますな。恐ろしさが倫理感や身の安全を生むことは、歴史が証明しています。
でも最近の絵本は説教系が多くて、子どもがかわいそう。もっと自由なモノであふれて、むしろそっちがベストセラーを席捲すべきです。読み方を制限してしまうような本は、大人のエゴを押し付けているだけです。
タラブックスをご存知でしょうか。karateは展覧会に足を運ぶほど好きです。一時、話題になりましたね。
インドの小さな出版社ですが、絵本を専門に作っています。インドには460もの少数民族がいて、それぞれ異なった文化を持っています。そんな彼らに絵を描いてもらい、装丁する。何メートルにもなる絵は、蛇腹にして本にしたり、文字のない絵本は、絵と絵のつながりを大切にしてページ構成をしたり。
そうしてできた絵本は自由度が高くて、作り手の、どう感じてもらいたいかという意思はあまり感じられない。子どもたちに見せたとき、あるいは読み聞かせたとき、どんな反応をして、どんな感想を述べるか、大人であるこちらの方こそワクワクするやないですか。
子どもたちの成長を見守るのも良いですが、karateは子どもたちといっしょに楽しみたいです。子どもたちの飾り気のない表情を観劇しつつも、輪に入って楽しみたいのです。
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そうこうしているうちに、
白い建物が見えてまいりました。
次なる目的地はあの建物です!
鳥取を代表する明治建築!
「仁風閣」名付け親はあの海軍大将!?
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仁風館(じんぷうかく)に到着しました!
威風堂堂ッ!!
門を一歩踏み込むと、
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ただただ、広い。
他にも建物があったんやないかと思うほど
芝のスペースをもてあましているような・・・
当時の天皇の宿泊施設として建設したとか。
さすがに贅沢やな。
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鳥取城の石垣もちらり。
実はお城のすぐふもとにあるんです。
入場料を支払って中へ。
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立派な階段。
靴箱の並び方が、なんだか
学校の昇降口を思い出させます。
仁風閣には二つの階段がありまして、
一つはこの受付近くの階段、
もう一つは
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螺旋階段!
え、螺旋階段ってこんなに
裏側つるっとしてたっけ…?
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karateの中の螺旋階段は段差に合わせて
カクカクになってるイメージ。
これ、わざわざつるっとなるように
板をはめ込んだってことですよね?
単に平らな板を使うだけでは
この曲線は出せないような…
人間業やおへんな…!
展示のうち家財に採用されていたのが、
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吉田璋也(よしだしょうや)の手のもの!
鳥取の民藝運動の中心人物で、
柳宗悦から始まった心の弟子のひとり。
彼を中心に、息も止まってしまいそうなほどの
超ビッグネームたちが、鳥取に集結していました。
※詳しくは、こちら。
それにしても仁風閣とは、
なかなかイカツいお名前です。
それもそのはず、かの名付け親は
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時の海軍大将・東郷平八郎!!
こちらは東郷直筆の揮毫。
軍もトップクラスになると、ちゃんと
書をたしなんでいるんですね。
東郷平八郎(1848-1934)
幕末から昭和を生きた海軍大将。日清・日露戦争を経験し、特に日露戦争では日本を勝利に導いたことから、世界中から英雄視される。出身は薩摩であり、大久保利通や西郷隆盛とも親交があった。
いやはや、鳥取は掘れば掘るほど
有名人たちに関係のある地なんすなあ。
2階には和室もありました。
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いや、畳を敷いた洋室、というべきか…
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/78AF267B-DE12-42DD-BC5D-E47B66DB2207-1024x768.jpeg)
暖炉は大理石かしら。
この部屋の使い方は、やっぱり
ちゃぶ台を出して畳に直に座るって
ことなんかしら・・・
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バルコニーもありました。
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ここはまた一段と明るい。
karateが訪れたときは
女の子たちが撮影会をしていました。
バッグの宣材写真かな?
モデルは伏し目であったり視線を外したりして
カメラに向かっていました。
室内でもこれだけ明るければ
良い写真が撮れそうです。
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一区画だけ、ガードの固い部屋がありました。
御食堂とありますな。
どうやら大正天皇の使用なすった
テーブルとイスであるようです。
仁風閣は一時、放置されていたようですが、
良い目を持っている人がちゃんと見つけてくれて
本当に良かった。
壊されて薪にされたときには、
剣心が来ることもなかったでしょうな。
剣心・左之助の大立ち回り!
「るろうに剣心」の名場面を振り返る
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/20777EF7-E72E-4BE7-91FF-25B17507ADFF-1024x768.jpeg)
2階の一室に、
『るろうに剣心』の展示が。
お庭がロケ地になっていたようです。
言われてみれば、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/F7E5362B-E17D-4192-9083-0799F2FCBEC3-1024x768.jpeg)
ここで戦ってた気もする・・・
正門から見れば、こちらは反対側のお庭。
正門側は仁風閣以外に、
特に建物はありませんでしたが
こちら側には、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/98B40FA2-AA36-4372-9AD5-069BB558F9A7-1024x768.jpeg)
日本庭園がありました。
この奥には宝扇庵(ほうせんあん)という
日本建築もあります。
仁風閣ができる以前、鳥取藩主をつとめた池田家によって造営されたもの。亡くなった夫人を慰めるために造ったそう。亡くなってもこの地にとどまって、庭を眺めて穏やかに過ごしてほしい、ということかしら。
『るろうに剣心』って、karateが小学生?くらいの頃のマンガです。リアルタイムでは体験してなかったのですが、中学の頃の友人が大好きだったので、karateも借りて読んでいました。
マンガの実写化、最近ブームですな。これじゃない感が出てしまいがちですが、るろうに剣心は成功の部類に入るんやないでしょうか。武道をたしなむ身からすると、殺陣には結構無理がありますが、それは並々ならぬ膂力をもった剣心だからこそできることと割り切って楽しんでいます。
ため、元気かなあ。
仁風閣
鳥取県鳥取市東町2丁目121
9:00~17:00(月曜定休)
Tel:0857-26-3595
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