鳥取の誇るお城!
鳥取といえば、砂丘、温泉!
日本海沿いの自然が美しい鳥取ですが、
歴史だってばっちり深い街なんです!!
鳥取を観光してて思いましたが、鳥取市は
ロードバイクで巡るのにちょうど良いサイズ。
観光地も史蹟も遺跡も、ロードバイクなら
時刻表も気にせずに済みますし、
自由度は高まりますな。
とはいえ鳥取が歴史の大舞台に出てくるのは
古事記と戦国時代くらいなもんで、
karateもあんまり詳しくは知りませんでした。
とある仙人との出会いが、
karateを鳥取歴史アンバサダーへの成長の
きっかけとなりました。ありがたや。
今回のラインナップは、こちら・・・
◆なんで鳥取って名前なん?
◆鳥取城には〇〇が出没!?
「ヌシ」と日本人のアニミズム
◆もっと間近で丸さを体感したい!
「天球丸」丸い石垣の正体とは
※お急ぎの方はこちらから雰囲気だけでも。
なんで鳥取って名前なん?
小学4年生の頃、鳥取県がキライでした。
鳥取と書くとき、決まって
「鳥取」と「取鳥」で迷ってました。
だって、どっちの字も
「とり」って読むやないですか!!
担任の先生に相談しても、
「鳥が先って覚えとき!」という
教わったのは単なる根性論。マジでトラウマw
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/D8E9AD4B-AA79-465D-95DE-A95C14ECB759-1024x768.jpeg)
鳥取城の入り口へやってきました。
今は城郭が残るのみで、天守はありません。
でも鳥取城は天守がない方が、石垣を堪能出来て
良いですな。
なお、写真は雨の日と晴れの日に
撮ったものが混在してますので、
所々ちょー天気悪いです。悪しからず。
さて、名前には由来というものがあるもので、
誰かが鳥取の名の由来を教えてくれていたら
トラウマにならずに済んだんですけどね・・・w
大和朝廷が勢力を拡大する頃、湿地帯だった鳥取。そこには水辺の鳥を取って暮らす狩猟民族がいました。
大和政権が成立する頃、かの民族のいた地域をその生活から「鳥取部」としたことが由来とされています。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/E2551512-EE48-4EAF-80E1-C8D6B8A2E984-1024x768.jpeg)
石垣と階段が続きます。
その道中、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/0FDE203B-00DA-47A9-98AC-5E6155C4FEA2-1024x768.jpeg)
小さなお墓が。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/78F7A62A-4982-446A-945B-95473B3A4262-1024x768.jpeg)
完全にお墓ですね。
どうやら鳥取城ができる前からあるお墓らしく、
子孫は墓参りのためなら登城を許されていたとか。
そんなお城、初めて聞いたな。w
鳥取城主は人情派だったようで。
鳥取城には〇〇が出没!?
「ヌシ」と日本人のアニミズム
さあ、ずんずん上っていきますよ!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/21942694-08D0-4102-8BF0-6DF30EB238EA-1024x768.jpeg)
二の丸跡までやってきました。
江戸時代前期までは、
ここに藩主の御殿があったそう。
ここの階段を下りていくと、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/DC2D0E5B-86A8-4B79-9A4C-FA24C965D8F8-1024x768.jpeg)
石垣に妙なものが挟まっています。
どうやら手水鉢の様子。
お左近(さご)の手水鉢といい、鳥取城拡張工事の折、疲れ果てた人夫たちを励まして回り、公示に大きく貢献したことを忘れぬよう、石垣に彼女の使っていた手水鉢をはめ込んだのだとか。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/2BDE8FF2-CCAD-47D6-9365-F82786AC0CBA-1024x768.jpeg)
あっち側の方が少し高くなっているようです。
そういえば鳥取城には丸い石垣があるという
妙な噂を聞いてきたのですが、
どこにあるのやら。
あちこちウロウロしていると、
「何か探してるんか?」
健脚のおじいさまが
後ろから声をかけてきました。
ka「丸い石垣があると聞いたのですが」
お「それなら、あの階段上っていきい」
ka「わかりまし…たあ、あ?」
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/1B9F4BCD-F6E8-4137-B7F0-8E1354A48262-1024x768.jpeg)
この城、熊出るんかい!!www
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/26378027-50BA-4A22-A6B7-D30C70C18DA0-1024x768.jpeg)
キツネも出るんかーい!!!www
でも悪いキツネではないみたい。
ここには桂蔵坊(けいぞうぼう)という
ヌシがいたそうな。
姫路城には長壁姫(おさかべひめ)が、松山城には隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)というヌシが。
なるほど、隠れるとかいて「いぬ」と読むのか。亡くなることを「隠れる」とも言うし、言い換えれば「去(い)ぬ」とも言えるか。
それにしても刑部は「おさかべ」とも読めるし、読み方が長壁と同じなのは偶然なんかな。むむ。
こういう妖怪たちは追い払おうとするとうまくいかないことが多いですよね。それってやっぱり日本人の遺伝子の根底にあるアニミズムが関係している気がします。自然を支配するのではなく、寄り添って生きる。寄り添えば自然の力の恩恵にあずかることもできる。だから殿様のお手伝いをしたというような、まるで喩えのようなお話が後世まで伝わるんでしょうな。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/76E72A56-FA64-49E9-96F6-59F69721082C-1024x768.jpeg)
お稲荷さんのような構えですね。
でもお社?は少し傾いています・・・
挨拶を済ませて、右手の階段を上がっていきます。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/05/7FF6AE58-39F6-4756-B1F6-5ADE7056CF1C-1024x768.jpeg)
三の丸は大きな広場になっていました。
良い景色です。日がな一日、
キャンプしていたいようなロケーションですな。
ちゃうちゃう、丸い石垣を探しにきたんやった!
どこにあるのかしら・・・
「ほら、そこから下を覗いてみ」
おっ!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/B6EB20B2-F822-4C3C-B3A8-5DB4CFDCA639-1024x768.jpeg)
これが丸い石垣か!確かに丸い!!
てか、え、ちょっと待って、
ka「さっき下にいたおじいさんですよね!?」
お「せやで」
え、追い抜かれたら気付くと思うんやけど
なんで先に広場にいらっしゃるの…?
え、一本道やったはずやねんけど、どゆこと…?
お「下からも見えるから一緒に行くか?」
ka「え、ええ、是非お供します・・・」
まさかこのおじいさま、タヌキやなかろうか。
このお城、タヌキまで出るんかww
もっと間近で丸さを体感したい!
「天球丸」丸い石垣の正体とは
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/2DB8B7EC-C2DC-4648-8279-2BE23DD15FE1-1024x768.jpeg)
丸い石垣のところまで下りていきます。
それにしても凄まじい傾斜・・・
こっちから上ってきたら大変やったな。
途中、「天球丸」という案内板があり、
そこで横に折れていきます。
どうやら丸い石垣は天球丸と呼ばれている様子。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/05/6B3FA7AD-8631-43B3-8B9E-B967257EC469-1024x768.jpeg)
眼前に丸い石垣が迫ってきました!
うーん、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/05/ECB676A0-BDCA-4EBC-8B20-D7732AB1B836-1024x768.jpeg)
球はどこから見ても丸いね。当たり前かw
鳥取城はお城の敷地拡張や
城郭の改修を繰り返してきたお城。
様々な時代の工事の痕跡が残っていることから
「城郭の博物館」の異名を持っています。
ka「でも何で丸いんですか?」
お「どうも石垣が緩んだか何だかで膨らんできたみたいでな、崩れんように補修したのが、この天球丸って言われとるわ」
なるほど、
膨らみを包むように新たに石垣を組んだってことか。
お「まあ、それも物珍しさでええんやけどな、吉川経家っていう城主の頃、ここで秀吉に兵糧攻めに遭うたんや。それはもう凄惨なもんで、秀吉は鳥取城に持ち込まれる食糧はことごとく阻止し続けた。おかげで城内に残る人間らは皆、やせ衰えてもうてな、人の肉を食らう者まで現れた。
じきに城主が自決して降伏したんやが、そうまでして戦わないかんかった理由は何やったんやろうなあ。戦うて死なずに、飢えて死ぬとは、無念やったろうなあ、不本意やったろうなあ」
そう仰って、またお城の方へ
上っていきました。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/02/C3ABDFF5-684D-4ACA-92A4-687A9F9DC1E8-1024x768.jpeg)
ひょっとして、タヌキやのうて
仙人に出会ったのでは・・・
また会えたらいいなあ。
鳥取城址
鳥取県鳥取市東町1−220
最近のコメント