山代温泉・後編は・・・
前編ではグルメと温泉でしたな。
後編ではもっとディープに掘り下げていきます。
北大路魯山人はどこか遠い存在でしたが
今回の旅でぐっと近くに感じるようになりました。
今回のラインナップは、こちら・・・
◆温泉街のお寺、その名も「温泉寺」
◆石川県に職業姓を冠する神社
「服部神社」のルーツに迫る
◆北大路魯山人の足跡をたどる
「魯山人寓居跡いろは草庵」
◆スタンプラリーに景品あり?
「九谷焼窯跡展示館」で登り窯をおがむ
温泉街のお寺、その名も「温泉寺」
古総湯から徒歩圏内にお寺があります。
その名も「温泉寺」
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![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/BD020DB8-DA8C-42D7-BF81-AF0C5FCB98DF-1024x768.jpeg)
山号は霊方山とありますな。
奥には薬王院と書かれています。
薬王院温泉寺
全国に点在する温泉寺の総称。寺によって宗派は様々。約1300年前、行基が白山へ向かう途中、八咫烏(やたがらす)に導かれて温泉を発見。温泉を守護するべく温泉寺建立にいたる。そののち、平安時代には明覚(みょうがく)上人が住職を務めた。明覚は五十音図を考案した僧であり、境内の奥には供養塔がある。供養塔までの小径の階段には随所に平仮名が埋め込まれている。
なるほど、境内をあがっていくと
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行基菩薩の石像が。
温泉寺の開基は行基だったようです。
行基(ぎょうき) 668-749
渡来人の家系に生まれ、15歳で出家。唐に渡って玄奘三蔵から教えを受けた道昭を師に持つ、すごいお坊さん。
当時、日本における仏教とは国をまとめるための手段であった。それに対して行基はあくまで人々の幸せを願い、老若男女、貴賤を問わず人々を助けて回った。どれくらい助けたかというと、国から弾圧を受けるくらい。それでも止めない行基。結果、民衆の支持を得た彼のことを国も悪だと押し切ることができず、彼の行ないを認めることになっていきます。
民衆のスーパーヒーロー、行基さん。
晩年は奈良の大仏建立プロジェクトにも名を連ねるほどに
地位を高めていったようですな。
御手水(おちょうず)は珍しい生き物でした。
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カエル!
たまに変わり種のところがあるのですが
カエルは初めて見たかも。
水圧が弱めでかわいい。w
ちょっと扁額が隠れていますが
確かお薬師様がましますお堂やったような。
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六角形の形をしたお堂です。
仏教にはしばしば「六」の字が登場します。
六道は輪廻転生する六つの世界
(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)
六波羅蜜は生きたまま悟りを開くための六つの修行
(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)
六角というのは人間の欲を持つ感覚器官である
六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)のこと。
お薬師様と六角はあまり関係ないように思いますが
たまたまこの形の建物になったとは考えにくいですね。
でも調べても調べてもあまり情報がなくて、
これはまた聞き込みに行かねばなりますまい。
薬王院温泉寺
石川県加賀市山代温泉4区18−40 甲
Mapはこちら
石川県に職業姓を冠する神社
「服部神社」のルーツに迫る
温泉寺のお隣には
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服部神社がありました。
服部と言えば、職業姓として有名な苗字。
職業からくる姓名というのは
色んな国に見られますね。
例えばウィル・スミスのSmithは鍛冶屋。
ハリー・ポッターのPotterは陶芸屋。
エリザベス・テイラーのTaylorは仕立て屋。
服部はもともと、機織部(はたおりべ)という
職業部族がいました。
それが時代と共に
はたおりべ→はとりべ→はっとり
と変化したわけですな。
この服部神社も、機織とは無関係ではありますまい。
服部神社
機織の神である天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)をお祀りしている神社。和銅年間創祀とあるので、700年代からある歴史ある神社。16世紀に戦火で焼けているものの、明治になって再建。その際に白山神社と合祀し、菊理姫命(くくりひめのみこと)も併せてお祀りしている。
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階段はやや過酷ですが、
ゆっくり上っても2、3分くらい。
ここの御手水は、
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鷹!!
足は2本なので、八咫烏ではなさそう。
さすがに鳥なので、
口から水を吐き出してはいませんでした。
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![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/D875713D-D393-43B8-8716-78B744876CBF-1024x768.jpeg)
こちらの狛犬、手が大きくて可愛いけど
アゴ、どこいった・・・?
吽形は口を閉じているならわかるけど
阿形は口、開いてないとダメっすよね。
壊れてしまったのかしら。
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中にはお稲荷さんもありました。
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地元の方は安産も商売繁盛も
こちらの神社にお参りされるってことですな。
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さて、この後はいよいよ魯山人に
会いにいきます!
この神社を出てすぐのところです。楽しみ。
服部神社
石川県加賀市山代温泉4区18−7
Mapはこちら
北大路魯山人の足跡をたどる
「魯山人寓居跡いろは草庵」
服部神社を出てすぐ左手に
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「魯山人寓居跡いろは草庵」があります。
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お庭を横切って
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/42ADDFC6-C2E4-4F67-8C80-856BD8EA7194-1024x768.jpeg)
はいらっしゃいませ、してきましたw
その前に北大路魯山人について
少しお勉強しておきましょう。
北大路 魯山人(きたおおじ ろさんじん) 1883-1959
京都は上賀茂神社の社家、北大路家に生まれる。そう聞けばボンボンに聞こえますが、宮守としてかなり貧しい生活を強いられていました。すぐに里子に出され、たらい回しにされていきます。養家では食事係を請け負い、そこから食に対する大きな価値観を抱くようになっていきます。
書の懸賞で小遣いを稼ぐようになったのが十代。母の知り合いを伝って東京の書家に縁ができ、書家を目指すことに。
陶芸に縁ができたのは三十代。その頃から「美食倶楽部」を発足させ、政界や財界の大物たちを相手に料理を振舞うように。会員が増えるにつれ、窯を開いて器も自作するようになり、生涯を終えるまで製作に余念がありませんでした。
karateは魯山人といえば陶芸家・料理家・美食家の側面をよく存じ上げていますが、その他にも篆刻(てんこく)家・画家・書道家・漆芸家という美と食に通ずる様々な顔を持つお方。幼少期のハングリー精神を育てた環境に出会えるということこそ、彼の才能です。でも幼少期は、さぞつらかったろうとは思いますね。
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と、いうわけで篆刻のコーナーがありました。
さすがに彫るところからやるわけもなく
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/0ADC9C2F-F42A-495A-933D-FE8C77DF2045-1024x768.jpeg)
ハンコの要領で押すというもの。
書がある程度大成していれば、
美しい字も彫れるということかしら。
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![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/207D2443-0D32-457F-BE9E-69ED26C46EB0-1024x768.jpeg)
館内は質素に見えながら随所に贅沢が感じられるような
そんな雰囲気でした。
中でも庭を眺められる部屋なんかは
![魯山人寓居跡](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/01/魯山人寓居跡-1024x768.jpeg)
控えめに言うて、最高でしたね。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/A26CD703-F368-4386-A0E5-D8913BE519B6-1024x768.jpeg)
お茶と金平糖もいただけます。
湯飲みも素敵。
この金平糖、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/544A3749-5407-4533-B495-6EC88AAD22AD-1024x768.jpeg)
金箔が入っています!さすが金沢!!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/CA3872A3-A825-4561-A52C-1460EFE8A4D4-1024x768.jpeg)
お庭に生えているのは檜葉(ひば)やったんですね。
我が家には消臭用にヒバチップがありますが
生えている状態で見たのは初めてかも。
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瓦と炭でしょうか。
あるものを組み合わせて美を表現するところも
ニクイですな。
karateも食への執着はかなりあります。正岡子規のように牛乳にココアを入れるか入れまいかと悩むほどではないですが、旅先になると余計に、どこで一食をいただくか、何を食べて空腹を満たすか、この一回を本当に大切にします。儒教をはじめとする日本人の価値観や礼儀作法も含め、食育に熱心だった父親の影響が強いように思います。
美への意識と理解もあるつもりです。西洋絵画から日本画、陶芸から庭にいたるまで、そういうものを良いと感じられるくらいには、幼い頃から両親、特に母親から影響を受けてきました。大人になってから、少し変わった家に生まれたなと思います。実家は空手の道場ですし。w
魯山人の生い立ちをいろは草庵のスタッフの方々からお話を聞きながら、自分の半生を顧みると、自身の才の在り処やその土台を見詰める良い機会になりました。魯山人ほど、自分にも他人にも厳しい人間にはなれそうにもありませんが、せめて自分には厳しくありたいですね。
自分に飽きる自分には、なりたくありませんな。
魯山人寓居跡いろは草庵
石川県加賀市山代温泉18−5
Mapはこちら
スタンプラリーに景品あり?
「九谷焼窯跡展示館」で登り窯をおがむ
いろは草庵の余韻を残したまま、
山代温泉の中心地から少し離れた
「九谷焼窯跡展示館」へ。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/705A089B-912A-4BFD-94BC-DB18885F30D7-1024x768.jpeg)
我ながら、また渋いところに来たもんです。
入館料の350円を支払うと、
スタンプラリーをやっているとのこと。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/9DBBCC60-54A2-493E-81E4-A16E49AB39E9-1024x768.jpeg)
1つ目は受付横にありました。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/7347A4AF-CC42-41A3-BF04-F016A18F0CA0-1024x768.jpeg)
え、結構凝ったスタンプやな!!w
ちょっとテンションが上がりましたw
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/E3D5D489-10C1-4ABD-98B9-19A9C63F457E-1024x768.jpeg)
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/9F91D91B-E347-4FDC-91A9-4C9196A3C8DB-1024x768.jpeg)
中に入ると作業場を見学できました。
ここで蹴りろくろの体験ができるようです。
電動のろくろとは、また違うんやろか。
九谷焼の柄は細かい筆致も特徴の一つなんですが
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/112B2893-1410-4D33-8922-39F3FA0D8E8E-1024x768.jpeg)
え、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/9FB8FA6E-315F-462E-A2A3-2269570E9F12-1024x768.jpeg)
まさか、ここまで細かいとは!
お猪口サイズに人の顔まで描かれています。
そういえば米粒に仏さんの絵を描く人もいたなあ。
さあ、いよいよ登り窯です!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/DE9D2626-426E-4B8F-AA42-3080F50270B5-1024x768.jpeg)
胸が高鳴る!!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/AB2C7727-68D0-4515-B0D0-6EED3D2304BC-1024x768.jpeg)
おお、こうなってるわけね!
登り窯は遺跡でしか見たことがありませんでしたので
こうして拝むと、やっぱカッコエエですな。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/9D74DB78-EFEA-4B7B-A456-C000FB48E571-1024x768.jpeg)
こんな感じでぎっしり詰められて
一気に焼くようです。
朝の連ドラ『スカーレット』で出てくる穴窯とは
だいぶ違いますね。
登り窯は連房式(焼成室が複数ある)のに対し、
穴窯は単室(焼成室は1つだけ)です。
一度に焼き上げる作品数は約6倍もの差があるとか。
単純計算で、薪代も6倍。ひええ
ただ、穴窯にも良いところがあります。
単室なので、他の焼成室との兼ね合いで
火を止めざるを得ない、ということはありません。
連房式だと、1つの焼成室の出来が悪いからって
焼き続けて他の作品を犠牲にすることはできません。
単室なら納得のいくまで、薪をくべて焼くことができます。
そらーキミコの作品、高くなるわな・・・
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/391314C0-79B6-4CB9-8A6C-AAC0CA649D4B-1024x768.jpeg)
窯跡の遺跡もありました。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/EEA1BBCE-5135-4868-98C9-F245E3533EA4-1024x768.jpeg)
なかなかの規模ですね。
それだけ焼物が一大産業だったということですな。
あ、そういえばスタンプラリー、忘れてました。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/C4884284-7B12-42A1-860A-F2E1BA460F4C-1024x768.jpeg)
はい、完成!
体感上、半径15m範囲内くらいで全て揃いました。w
景品は、ポストカードでした。
karateは登り窯カードを頂戴しました。
全部で4種類くらいあった気がします。
あと3回来たら、コンプリートできるかなw
今回は山代温泉を巡りましたが
そんなに大きくないわりに
見応えはかなりありました!
ちゃんと堪能しようと思えば
いくら駆け足で巡ろうとも半日は絶対にかかります。
ましてやkarateのような歴史・文化・芸術・民芸に
ご関心のある方なら、1日コースですな。
ゆとりを持って、お越しください。
ちょー楽しかったです。
九谷焼窯跡展示館
石川県加賀市山代温泉1丁目101−9
Mapはこちら
www.kagacable.ne.jp
国指定史跡 九谷焼窯跡展示館http://www.kagacable.ne.jp/~kamaato/古九谷を再興した吉田屋窯から宮本屋・九谷本窯と受け継がれる九谷焼窯跡、絵付けやろくろの陶芸体験ができます
前編は、こちらからどうぞ。
金沢市内観光は、こちらを参考になすってください。
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