石浦神社→金沢城へ
前回は金沢市内の石浦神社で
おびただしい数のおみくじを見てきました。
あれはすごかった。
今回は満を持して金沢城へ向かいます!
壁と石垣にフィーチャーしてまいりますよ!!
今回のラインナップは、こちら・・・
◆金沢城へのアクセス
◆美しい壁と石垣のパレード!
◆荒々しい鏡石と純白のなまこ壁
◆金沢城は石垣の見本市!
「切り石積み」はモザイク柄さながら
金沢城へのアクセス
天守のあるような立派なお城は大体
街の中心地にありますよね。
金沢城とて例外ではござんせん。
バス停を下りてすぐのところに
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/F4708CE2-ECA8-42A6-B93C-FC7A2E1B3056-768x1024.jpeg)
大河ドラマ「利家とまつ」の主人公にもなった
前田利家の銅像が。兜の金色がまぶしい!
ここから始まる小路、名を白鳥路といいます。
金沢城公園へアクセスする道中、オブジェ以外にも
数体の銅像があります。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/FEC90367-C940-4232-BB30-4441A497B926-1024x768.jpeg)
金沢の三文豪像です!
左から順に、
室生犀星(むろうさいせい)
泉鏡花(いずみきょうか)
徳田秋声(とくだしゅうせい)と並んでいます。
『文豪ストレイドッグス』という漫画が流行り、
泉鏡花についてはお読みになられた方も
中には結構いらっしゃるかもしれません。
室生犀星
明治期を生きた文豪。詩人・小説家。代表作に『蜜のあわれ』、『杏っ子』など。
karateは個人的に愛猫家である側面と、こおろぎのエピソードが好き。特に小さな生き物を愛し、死生観について書かれたものが特徴的。
泉鏡花
同じく明治期の文豪。小説家。代表作に『高野聖』、『外科室』など。尾崎紅葉を師にあおぐ。
幻想文学の草分け的存在であり、異界を美しい形容詞で彩る。
形容詞の多い日本語ならではの表現をまとめあげ、戯曲にも多く採用されている。
徳田秋声
これまた同じく明治期の文豪。小説家。代表作に『黴』、『あらくれ』など。
島崎藤村、田山花袋に並ぶ自然主義。karateは『あらくれ』が好き。この時代に女性の一人で生き抜く様を、女性を主役にして描いた小説は貴重やと思います。
仕事に邁進するしっかり者なのに、というか邁進しているからか、ダメな男ばっかり寄ってきます。さながら太宰治の『人間失格』の逆設定。今の時代だからこそ、よく映える作品であると確信します。
文壇トークになると話が長くなるのが
karateの悪い癖ですな。w
誰に話しても徳田秋声のことは知らないと言われるので
これを機に皆さまにお手に取っていただきたい!
karateと徳田秋声トークしてほしい!!ww
そうそう、金沢城に来たんでした!
脱線ついでにテーマがすり替わるところでした。
危ない危ない。
白鳥路を歩いて間もなく、
金沢城公園の入り口に到着です。
美しい壁と石垣のパレード!
荒々しい鏡石と純白のなまこ壁
多くの人は石川門から入るのですが
ちゃんと石垣を堪能したいので、
今回ばっかりはキッチリ正門からお邪魔します。
まずは正面玄関にあたる大手門から。
大手門は観光客も少なく、一人占めを満喫できます。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/E1419BD1-C4BE-47F8-8AD0-F2ACE034D684-1024x768.jpeg)
鏡石の迫力ったら!
鏡石については以前に富山城でご紹介しましたね。
気になる方は、以下からどうぞ。
大きな鏡石があると思えば
中部から下部にかけては間詰め石を施してある箇所もあり、
上部は完全に切り石積みです。
たった1つの石垣を見るだけでも
これだけ色々見られるのはお得感。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/C77B300F-8763-4CB1-A834-66514DE494BC-1024x768.jpeg)
奥へ進むと芝生が広がっています。
なんか、天気悪くなってきたな・・・
真っ直ぐ進んで聞くと間もなく、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/3C077CB7-6F1B-4F91-A113-A3BD14088C38-1024x768.jpeg)
河北門(かほくもん)に到着!
なまこ壁が美しい!!
とはいえ、実は河北門は最近再建されたもの。
ちゃんと、当時の姿を忠実に再現しています。
これが一の門で、お次に見えるのは
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/D5BDDA19-81CA-4F45-AD7F-3C6CCB7479A2-1024x768.jpeg)
二の門です。
こちらも再建されたもの。
これをくぐると・・・
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/A2AB8AC4-E6EF-4642-9175-0AE8ABB16000-1024x768.jpeg)
五十間長屋が見えてきました。
金沢城の中心になる場所ですね。
金沢城に天守は残っていません。前田家が入城してきてから間もなく建設されましたが、完成からわずか20年ほどで、落雷により焼失。以降、再建されることはありませんでした。理由はいろいろあるんですが、やっぱり外様大名だったことが大きかったんじゃないですかね。
外様大名
江戸幕府に使える大名の一群。江戸時代の大名たちは、以下の3つのグループに分けられた。
①親藩(徳川家の親類。都に近い藩を任された。)
②譜代(関ケ原の戦い以前から徳川に仕えた大名。親藩に準じて都市部や要衝の藩を任された。)
③外様(関ヶ原の戦い以降、徳川に従った大名。都から遠いへき地の藩を任された。)
外様である前田氏は当然、任国はへき地です。反乱を起こす大名があるとすれば、関ヶ原以降に従った大名が最も可能性が高い。
へき地を任せることによって参勤交代で莫大な資金を使わせて、軍備を整えられないようにしたんです。
金沢から江戸までは約2週間。往復するのに必要な資金は現代の価値にして8億6千万円と言われています。いじめられすぎ。
そんな中で天守を再建してしまえば幕府の監視が強まることは必至。だから大人しくしてた。
と、思った方はまだまだ金沢を知らない!
金沢はお金がなかったわけではないんですよ!!
金沢城は石垣の見本市!
「切り石積み」はモザイク柄さながら
石川県は加賀百万石と呼ばれた米の一大産地。
参勤交代でごっそり削られていたものの、
百万石は現在の価値で約600億円。
加賀藩は120万石でぶっちぎり1位。
2位の薩摩藩は70万石だったので、
いかにお米がよく採れたかがわかります。
(ちなみに最下位は2万石。かわいそうw)
それに、全く大人しくしていなかったことは
石垣を見ればわかります。
さっきの五十間長屋、寄って見てみましょう。
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いかがかしら。
この石垣、なんかまだら模様に見えません?
これ、どうも「わざと」らしいんです。w
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/B1C676C9-5B51-4450-A37D-7F183611BE91-1024x768.jpeg)
もう少し寄って見ました。
角は切り石積みになっていますね。
そこを除けば、やっぱりまだら模様。
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こっちなんてモザイク柄そのもの!
クリムトの作品を見ているようです。
ここまできたら完全にデザインしてますよねww
前田家の財力は築城に向かず、
「美」に向かっていったようです。
金沢には様々な工芸品があります。
加賀友禅、九谷焼、輪島塗・・・
金箔も含め、金沢には美しい品物が多い。
それは前田家三代である利常が
大名きっての文化人であったことが大きいようです。
父早逝により利常の影響を強く受けて育った五代綱紀は
ついに全国から工芸品をコレクションするまでに。
熱心な蒐集ぶりは
「百工比照(ひゃくこうひしょう)」という
蒐集品の集大成から、十分にうかがい知れます。
中には釘隠しやふすまの取っ手など、
マニアックなものも。
外様であった前田家が他大名に威光を示すには
立派な天守を建てることではなく、
工芸品の美しさや宮廷文化を理解する心を
広く誇示していく他なかったのかもしれません。
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この触れたくなるような盛り上がり。
統一された漆喰の太さ。
埋め込まれた瓦のリズム。
前田家の心は、今もしっかり息づいていますね。
もう一つ、見ておきたい壁があります。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/22EE39BC-CF63-4245-B470-C317B5F10A1B-1024x768.jpeg)
五十間長屋を抜けた向こう、案内に従って
三十間長屋へ向かいます。
長屋と同じ名前はついていますが、
三十間長屋は蔵として利用されていたようです。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/09/C72EA3A0-D9A4-49B9-B2F8-3FE208D87F9C-1024x768.jpeg)
こちらが、三十間長屋。
karateは見た時、ため息がこぼれました。
この美的感覚、日本人のものとは思えない。
ましてやお城の一施設に、
それも蔵としてひっそりと。
この配色は唯一無二でしょうね。
加賀は間違いなく、美の最先端でした。
金沢城公園
石川県金沢市丸の内1−1番1号
Mapはこちら
今回の旅は、ちょっとマニアックすぎましたかね。w
石川門やメジャーどころを周りたい方は、
こちらを参考にされるとわかりやすいかと。
参考になすってくださいまし。
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