まだまだ続くよ金印旅!
前回は志賀島に入ったところの
志賀海神社へ参りました。
まさか国歌のルーツに触れるなんて
予想だにしませんでした・・・!!
今回はちゃんと、金印まで参ります!
ラインナップ、こちら・・・
◆海鮮丼探索中に突然登場!
「漢委奴国王」と実物大の金印
◆志賀島は南側にある「金印公園」
◆二度に渡る蒙古襲来
「蒙古塚」は首切塚?
海鮮丼を食べようと思ったら突然登場!
「漢委奴国王」と実物大の金印
君が代の興奮冷めやらぬ中、
そういえばお昼ご飯を食べていませんでした。
福岡本土から海の中道を渡ってすぐのところに
ご飯屋さんが集まっていました。
ただランチ時を逸していたため
あんまりどこも開いておらず・・・
辛うじて開いていたお店が、コチラ!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/AA3C337B-6FD7-4E4D-803C-8A2095829EA4-1024x768.jpeg)
え!何屋さんですか!!www
いきなり現れた「漢委奴国王」の文字。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/6A14BD03-E8AF-4CF8-9322-7EBB5B42FF5A-1024x768.jpeg)
マジで何屋さんなんw
それにしても金印、小さいですね。
デカいハンコなんて使いづらいですもんね。
気を取り直して、海鮮レストラン遊に来ました。
観光客向けのレストランといった感じでしたが
海鮮丼なら間違いなかろうということで注文。
3,000円の海鮮丼もありましたが
そこまで出す気にはなれず・・・
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でも十分ウマかった!やはり間違いない。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/E7B70B52-49D9-4DE8-BE20-D65B09F133CC-1024x768.jpeg)
このゴマだれが良い仕事してたなあ。
他にもフライ系の定食や鍋物もありました。
子どもも喜びそうな感じでしたね。
ごちそうさまでした!!
海鮮レストラン 遊
福岡県福岡市東区志賀島411−3
Mapはこちら
志賀島は南側にある「金印公園」
お腹も膨れたので、散策再開です。
金印公園までやってきました。
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石碑に「漢委奴国王発光之処」とあります。
見つかったところってことかな?
それにしても天気悪いですねーw
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/995D8FD0-C94B-4989-882E-BED1D82C8EE5-1024x768.jpeg)
これはたぶん、金印の石像。
持ち手もこんな感じの形をしていた気がします。
公園自体は丘のようになっていて、
階段やスロープが続きます。
道中、特に何が展示されているわけでもなく
公園といっても遊具の類はありません。
階段の多い広場って感じ。
と、思いきや!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/E6FCA7FA-9D02-44BE-B7AA-3AA67DAB1C51-1024x768.jpeg)
こ、これが金印か!
こんな所に展示してるって正気か!?
と、思いましたが、これもレプリカでした。
ちゃんと正気でしたw
ハンコの面が見えるように
下に鏡があるものの、
天気悪すぎて水しぶきで見えへん。w
見晴らしの良い丘の上に、レプリカはあります。
さらに「漢委奴国王」の石碑。
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あれに見えるは、博多。
雨に少しガスっています。
海を渡ればほんのすぐそこやけど
太古の昔はきっと迂回して往来してたんやろうなあ。
そういえば、海の中道に遺跡があるって聞いたけど
どこにあったんやろか・・・。
金印公園
福岡市東区大字志賀島
Mapはこちら
二度に渡る蒙古襲来
「蒙古塚」は首切塚?
博多湾といえば、元寇ですな。
二度にわたる蒙古襲来。
モンゴルが当時どれだけの大国だったか。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/スクリーンショット-25-1024x675.png)
デカいっすよね・・・
チンギスとフビライが当時どれだけイケイケやったんかがよくわかります。ヨーロッパにまで勢力を拡大しようとしてましたからね。ペストで死んだ兵士を敵地へ投げ込むという細菌兵器まで使うなんて、まさに極悪非道・・・!!
ちと、karateの主観が過ぎましたね。
失礼しました。
そんな元寇にまつわる遺跡は
福岡県下、あちこちで確認できます。
偶然訪れた筥崎宮でも、境内に
元寇の展示がありました。
さて、そんなモンゴル軍も、死なば皆仏。
供養してやらんと可哀想です。
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ここは蒙古塚(もうこづか)。
またの名を首切り塚。
寺社縁起の『八幡愚童訓』いわく、座礁した船から投降してきた元軍の兵の首を刎ねたところ、そこから取られた名前だとか。愚童訓ってヒドイ名前ですな。いわゆる「サルでもわかる〇〇学」みたいなネーミングなんでしょうね。
こんな名前が付くほどですから、文永の役での嵐は相当なモノだったのでしょう。座礁するのも無理はありません。そういえば前に、文永の役の頃にホンマに嵐があったんか、気象学からアプローチした論文を読んだ記憶があります。皆、いろんなこと考えてはるんやなあ。
後から聞きましたが、ここ心霊スポットらしい。
霊感はまったくもってゼロ、
物理攻撃にステータス全振りのkarateには
全く何の違和感も感じられませんでした。w
でも心霊スポット嫌いの方は、
お参りなさらない方が良いのかも。
古戦場跡というくらいですから・・・
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供養塔、結構キレイというか、
オシャレな感じです。かっこいい。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/E48FF69F-7C88-4B01-8451-EFA44FC51D2C-1024x768.jpeg)
日蓮宗のお坊さまが建てはったそうです。
立派なお花が献花されています。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/DCD71F22-FCFC-4E49-96DE-2A2AF6C9E430-1024x768.jpeg)
蒙古塚の説明書きがあります。
内容より枠の個性に気ー取られるなあ。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/7A7757DE-2BFB-4AA0-A452-337803328E6F-1024x768.jpeg)
昔の供養塔、でしょうか。
なぜか左上が切り取られているような。
蒙古襲来という、日本が植民地支配にあえぐ一歩手前まできた歴史上の大事件。その現場に時を隔てつつも、自らの足で立っていることに感動を覚えます。ちょっとキモイですか?w
しかもここ、中州近くの勝立寺の飛び地境内!!!勝立寺って言うたらあの、西郷隆盛ゆかりの寺院!そして何より明石元二郎のお墓のあるお寺!!!勝立寺については、また別で記事をこさえますね。1年前に行ったけど、まだ記事書けてまへんねん。w
歴史的ドラマの舞台に
ビリビリと感動を抑えきれないkarateでした。
蒙古塚(蒙古軍供養塔)
福岡県福岡市東区志賀島
Mapはこちら
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