幻の天下人・織田信長の夢を追う
いやあ、滋賀県、歴史から文化から自然から
ええもん持ちすぎです、ほんと。
karateのような歴史と文化をこじらせた男には
たまらん土地です。
前回に引き続き、
織田信長のお城、安土城を掘り下げてまいります。
今回のラインナップは、こちら・・・
◆謎の多い安土城
◆使えるものは仏でも使え!?
「安土城」信長の合理主義
◆織田信長のお墓?
「本丸跡」近くにある「御廟」
謎の多い安土城
安土城は織田信長のお城でした。
地上6階、地下1階と、山城にしては
超巨大建築だったことがうかがえます。
山の上まで建築資材を運び、
重機もない時代、人の手だけで建てるというのは
相当なコストがかかったに違いありません。
今のお金にして、約1,000億円。
6階部分は金、柱は漆塗りだったとか。
どんな感じやったかというと、
![■](https://1.bp.blogspot.com/-KhOMhVXNFcc/XEVimtRPBKI/AAAAAAABRRo/6SyAy07P65IBtVfQfKsV_QYUNXgFyrRqACLcBGAs/s400/oshiro_aduchijou.png)
こんな感じ。
うーん、イラストやとすっごく可愛い感じ。w
ただ、いずれも後世の文献に記述が残るのみで
確たる証拠があるわけではないようです。
それもそのはず、実はこの豪華絢爛な安土城、
たった3年で焼失してしまうのです。
戦国時代のお城といえば戦のための要塞です。こんなに目立つ姿をしていれば見つけやすいなんてレベルではありませんw
当然、斎藤道三の義理の息子・信長は賢い方。安土城には違う側面がありました。それは、見せることに目的があったのです。
その証拠に、信長は諸大名からその家来にいたるまで1人百文を払えば、城内見学OK。w そんなことをしたら、敵に軍事機密がダダ漏れです。
でも、いいんです。見せることが目的ですから。
争いというものは、同レベルの者の間に起きるもの。圧倒的な力の差があるところに、争いは起きません。それを狙って、破天荒なことをしたんやないですかね。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/F3A53C20-D20B-42C4-AA2B-1ADD8EF955E9-1024x768.jpeg)
お城跡へ向かう道中は、このような屋敷跡が
何か所かあります。
安土桃山~江戸時代を駆け抜けた英雄たち、
羽柴秀吉・前田利家・徳川家康の
邸宅があった、らしい。
うん、らしい、なんです。
なぜこんなに歯切れが悪いのかというと、
いずれも頭に「伝」とついており、
これも確たる証拠はないようです。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/A41C988E-B46F-41BC-924D-E59EF4876910-1024x768.jpeg)
当時はこんな立派なお宅だったそうな。
ええなあ、こんなお家に住みたい。
途中に摠見寺(そうけんじ)というお寺が。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/8D0B754E-726B-43C9-BC1A-9DFEC0F13E11-1024x768.jpeg)
何と、ご自由に鐘がつけるそうです!
Strike Free!!!
karateも一思いについてきました。
がおーーん!!
…おーんおーん…おーんおーん
皆さま、鐘をつくときは
力いっぱいついてはいけません。
嗚呼、
karateのせいで吹き飛んでしまった風情。w
お寺を後にして、山登りを続けます。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/31F2BB9B-B547-4902-9CB9-2B21B170B1F5-1024x768.jpeg)
な、なかなかの階段でしょう・・・
スニーカーで来ないと、
絶対に後悔します。マジで。
ヒイヒイ言いながら登っていると、
足元にとんでもないものが・・・!!!
摠見寺
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6371
Mapはこちら
使えるものは仏でも使え!?
「安土城」信長の合理主義
地面に説明書きというか、看板があるのって
珍しいですよね?
別に落ちたわけでもなく、
まさに地面に看板が埋まっているのです。
何事かと思って近づくと、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/49AC0265-01C6-4FBC-9D49-EDBC0960C653-1024x768.jpeg)
ん?石仏??
言われてみれば、仏らしきお姿が。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/7BAA20CF-11C7-4176-B4AA-AFBFD9FFD982-1024x768.jpeg)
こっちにも、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/C024AACB-CA80-401D-BE90-2A391382F3C9-1024x768.jpeg)
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/5188D65A-B313-4A25-9A12-0657C7A4A047-1024x768.jpeg)
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/8FD2AF13-11C4-4F11-B86D-E5887531740E-1024x768.jpeg)
こっちにも。
説明書きによれば、信長が築城時に石材不足から
石仏や墓石まで使ったそうです。
なんて罰当たりな!と思うkarateはきっと
頭がカタいんでしょうねえ。
第六天魔王という恐ろしい名で呼ばれた信長ならやりかねんと思うでしょうが、実は信心深かったと聞いています。
美術品として完成度の高い石仏や由緒ある仏像になら、こんな扱いはしなかったでしょうけど、その辺にあるものなら、使うてまえ!という合理的判断のもとだったのでしょう、きっとw
事実、魂入れを行なていない石仏や墓石は、ただの石です。宗派によって魂入れやお性根入れ、御移徙(ごいと・おわたまし)という法要を行ない、それでやっと完成するのです。開眼供養が一番しっくりきますかね。
確か、福知山城も墓石を使ってたような。福知山城といえば、明智光秀。真面目エリートの彼でもそうだったんですから墓石を使うくらいは、当時は普通やったんかも。
それでも、石仏も墓石もそこに残っている以上、少なからず人々の想いを受け止めてきているでしょうしkarateはやっぱり気が引けます。
karateは魔王になれそうにありません。w
それにしても、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/A1FA77EF-3CBE-4920-BAB1-7E231E4D42DF-1024x768.jpeg)
いつまで階段続くねん・・・
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/5393E784-1D2A-417E-9C9D-6370A82D37D0-1024x768.jpeg)
あ、開けたところに出ました。
そろそろ頂上かな。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/CE0AF34C-8380-4276-9220-05E8336FDA32-1024x768.jpeg)
・・・まだまだでした。w
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/625859FA-65EA-4B04-BC25-AD7DB5E79EA5-1024x768.jpeg)
去年の秋頃に行ったのですが
菊科っぽい植物のお花が咲いていました。
野性味があって、素敵なたたずまい。キレイやなー
もうしばらく登っていくと、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/F627B81E-EA62-4DB6-8620-57D996DC12D9-1024x768.jpeg)
こ、これは頂上が近いんちゃいまっか!!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/9652CAD4-C9B0-4B73-9374-385D6F69217A-1024x768.jpeg)
ほら、黒金門跡って書いてあります!!
黒金(くろがね)というのは、鉄のことですね。
「鉄」の訓読みは「かね・くろがね」です。
どうも黒金門は、鉄で覆われた
非常に堅牢な門だったようです。
説明書きにもある通り、ここら一帯の石垣は
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/04FB9BDC-AC3B-41FA-A271-8681295764E6-1024x768.jpeg)
他よりも大きいものを使用しています。
ちょっと撮り方のせいもありますけどw
富山城でも鏡石と呼ばれる
小屋サイズくらいの巨石を用いて
石垣を築いていました。
※富山城については、こちらからどうぞ。
大きな石を築城に使えるということは
それだけ高い技術を持っているということ。
巨石を見せるだけで牽制になるわけですな。
近くには織田家の歴代の供養塔がありました。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/289286E4-E702-45FA-BE77-08AB51556777-1024x768.jpeg)
信長の分は、頂上近くに立派なものがありますので
今しばらくお待ちを。
織田信長のお墓?
「本丸跡」近くにある「御廟」
ここまでくれば、頂上も近いでしょう!
だって空が近いもの!!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/0373637E-7D53-4843-AECD-9A9755366C17-1024x768.jpeg)
ついに二の丸址へ到着!
天主台も近い!!
そうそう、普通は「てんしゅ」といえば
「天守」と書くことが多いのですが、
豊臣政権以降、「天守」に改められたのだとか。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/B1551508-AC96-4FB1-A1C6-E838837A77E9-1024x768.jpeg)
おっと、その前に、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/754CD3A6-1677-40A2-A440-5255A43861E3-1024x768.jpeg)
織田信長公御廟(ごびょう)へ
きちんとお参り。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/30548EB3-7341-4CAA-B52C-5AF84400C45D-1024x768.jpeg)
御廟ということは、供養塔とは違って室内型のお墓、ということなんですが、信長の遺体は本能寺の焼け跡から見つかっていません。信長の一周忌に、秀吉が本能寺の灰と、信長の遺品をここに埋葬し法要を行なったそうな。
天主ではなくここでわざわざ法要を行なったということは、ここは特別な場所だったのかもしれません。天主が政治の場であれば、ここが生活の場だったとか・・・。
発掘調査はしてないんですかね。調べてもそれらしき文献は見当たりませんでした。お墓を掘り返すのは、確かに気が引けますけれども。
きちんと、まんまんちゃんした後は、
本丸跡へ!!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/E65E95D5-1E66-4A4F-B2ED-8B4E2045747D-1024x768.jpeg)
ここの石垣は野面積みやないですね。
後になってから積まれたのかも。
この階段を上がると、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/76ACF84E-29EB-4EFF-B965-5E7D3EBD4B4E-1024x768.jpeg)
本丸跡に到着です!長かった!!w
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/6FB395CA-35DC-400F-A4BE-1904BA6CC19A-1024x768.jpeg)
ここに天守があったんですねえ
縦横、10個ずつくらい礎石があります。でかい。
どうやらここは地下1階部分のようです。
たしかに向こうに階段がありますね。
上ってみましょう。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/880F5A4B-99D4-4AD6-A92D-867EBCEE629B-1024x768.jpeg)
さらに開けました。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/04/6C2048CB-0553-41C6-A515-5C67F477BEC2-1024x768.jpeg)
素晴らしい眺め・・・!!
地上6階まであったとなると、
天主からは滋賀県を思いのままに
望めたことでしょう。
交通の要衝でもあったこの土地を押さえられたのは
信長のフットワークの軽さゆえかもしれません。
確か生きている間に
4回もお城を引っ越ししていたはず。
今いるお城を空けて新しい土地で
新たにお城を建てるというのは、
今以上にコストがかかったことでしょう。
さすがっす。
なんて、ニヤニヤ妄想しているうちに
汗が冷えてきたので、そそくさと下山。
お名残惜しうございます・・・
安土城跡
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
Mapはこちら
さて、もう日も暮れてきたので
ぼちぼち晩ごはんの時間ですな。
後編では日本Barに行ってきました。
前編・中編①は、こちらからどうぞ・・・
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