佐賀には何もないって、誰が言った?
karateは京都に住んでいるくせに
唐津へはよく走りにきます。
だって気持ちが良いんですもの。
広い海があって、視界を見切るくらいの空があって、
緑の美しい山も近くって、お城も歴史も祭りもあって、
焼き物もあってご飯も美味しくって。
佐賀に一体何をしに行くの?
佐賀に一体何があるの?ってよく言われますが
佐賀には全てが揃っている!
だからkarateはいつもロードバイクで訪ねるのです。
まずは唐津について、語らせてください!!w
今回のラインナップは、こちら・・・
◆博多→唐津までロードバイクで!
「虹の松原」は何回でも走りたくなる!
◆虹の松原といえばブイヤベース!
「海浜館」海の幸に吹くイタリアの風
◆日本三大悲恋が一つ!
「佐用姫伝説」佐用姫岩に残る悲しき恋
博多→唐津までロードバイクで!
「虹の松原」は何回でも走りたくなる!
博多から唐津までは片道56kmほど。
往復するにはちょうど良い距離感です。
道中には糸島もあって後ろ髪を引かれますが
ぐるっと回ると唐津をぶらぶらできないので、
先を急ぎます!
大丈夫、
海も山も、唐津で十分堪能できます!!
道中のハイライトとしては
虹の松原があることでしょうか。
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写真中央、
湾に沿って横たわる緑、わかりますか?
これ全部、松林なんです!
それだけでも十分美しいのに、
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中を走ることができるんです!!
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この木漏れ日、
夏場走るのが気持ち良すぎる!!
karateはいつも無駄に1往復してから
唐津市街地へ入っていますww
道中、車がたくさん止まっていました。
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どうやら唐津の誇るB級グルメ、
からつバーガーのお店が
あったようです。
というか、ここが本店のようです!
知らんかったw
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うわー気持ちいい。
もう、永久に走っていたい。
それにしてもこれだけの松林、
よほど浜風が強かったんですかね。
そして虹の松原には8つの七不思議があります。
七不思議やのに8つって、おかしいですよねw
そのうちの3つが豊臣秀吉にまつわるもの。
実は唐津は豊臣秀吉の朝鮮出兵本拠地であった
名護屋城があった場所でもあります。
秀吉も度々、ここを通ったのかもしれません。
そうそう、虹の松原を貫く唯一のこの道路、
車の往来は結構多いので、
走る際はお気をつけなすって。
からつバーガー
佐賀県唐津市鏡4
10:00~20:00
Tel:0955-56-7119
虹の松原
佐賀県唐津市鏡
虹の松原といえばブイヤベース!
「海浜館」海の幸に吹くイタリアの風
虹の松原を走っていると途中に、
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洋館があります。
こちらは「海浜館」というレストラン。
約40年前に開業されたレストランで、元々ここには
同じ名前のホテルがあったそう。
老朽化により取り壊されましたが、
その面影を残すべくレストランとして
同じ雰囲気を持つ建物を建てたのだとか。
駐車場はあるのですが駐輪場が見当たらず
うろうろしていると、
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敷地内に窯元のポップアップショップが。
でも無人。w
作品を拝見しているうちに
戻っていらっしゃるかと思いましたが
なかなかお見えにならない・・・
お腹の虫が昼食を催促するので、
先にご飯をいただくことにします。
karateは例のごとくお一人様でしたが
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4人掛けのテーブル席に通してもらいました。
お昼時を少し過ぎていたにもかかわらず、
半分以上、席は埋まっていました。
そしてkarateの注文は、
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ブイヤベースです!
この辺りで有名と聞いたこともありますが
恥ずかしながら今までブイヤベースという料理を
食べたことがなかったのです。
一口すくって飲んでみると、
イタリアンとは思えない優しい味付け。
具材は貝やエビ、イカがメインですが
かつお出汁のような親しみやすさを感じました。
貝からもしっかり出汁が出ているようで、
下の付け根にズシンとくるような、深い味わいも。
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karateは猫舌なので、取り皿をもらいましたw
そして、
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シメはリゾットにしてもらいました。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/A3C85B92-5114-480F-88EA-36435D5FC7DF-1024x768.jpeg)
終盤でブラックペッパーをふりかけて味変です!
給仕のお姉さんもよく気が付かれるというか、
お水のおかわりやリゾットにするタイミングも
よく見ておいででした。
しっかり教育なすっているようで。
それなのに、それなのに…
2020年12月に惜しまれつつも閉店…
今は建物は残っているようで、
マルシェなどの催事に利用されているようです。
ブイヤベースが食べられないのは残念ですが
面影だけでも探しに行こうかしら。
海浜館(レストランは閉業)
佐賀県唐津市鏡虹ノ松原3769−105
日本三大悲恋が一つ!
「佐用姫伝説」佐用姫岩に残る悲しき恋
さて、海浜館をあとにします。
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駐車場の正面道路です。
これだけで絵になるなあ。
次に向かいますは
『浦島太郎』『羽衣伝説』にならぶ日本三大悲恋、
『松浦佐用姫の領布振りの別れ』の地へ
向かいます!
・・・佐用姫だけマイナーかもしれませんw
松浦佐用姫(まつらさよひめ)の
領布振りの別れ
537年、大和朝廷は朝鮮半島にあった国・百済を手助けするため、大伴狭手彦(おおとものさでひこ)を派遣。船の出発地である松浦で、その土地の長者の娘・佐用姫と恋に落ちるも、狭手彦は朝鮮に渡り戦わなくてはならない。
出征の折、佐用姫は山の上から船を見送るも耐え難くなり、風のように山を駆け下る。呼子まで追いかけていき、船が見えなくなるまで見送ると悲しみのあまり七日七晩泣き明かし、石になってしまった。この佐用姫が弁財天のモデルになったとも言われている。
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その佐用姫が山から駆け下るときに
一足ついた岩と伝わっている、佐用姫岩。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/248EC0B1-311B-4395-B15F-E513B996611A-1024x768.jpeg)
岩までのアプローチはこんな感じ。
公園みたいになってますね。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/8295E652-48B6-42B8-9054-DD5A2D47ECAF-1024x768.jpeg)
近くまで寄ってみましたが
上には登れそうにないですね。
岩のてっぺんには佐用姫がついたという
足跡が残っているそうです。見てみたい。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/BBBEF362-E9A7-4CB8-A578-42EAA045537B-1024x768.jpeg)
日本三大悲恋というには佐用姫のお話は情報が少なくて、悲恋な感じがあんまり伝わってきづらい・・・
『浦島太郎』や『羽衣伝説』は言い伝えが人から人へ伝わっていくうちに脚色が入って、無駄が省かれて洗練されていったのかもしれませんね。でも佐用姫のお話はどうしてあんまり伝わらんかったんやろか。
とはいえ万葉集に詠まれたりはしていたので、古代には悲恋として題材に新しかったんでしょうか。でも、時代を経るごとに徐々に謡われなくなっていった。不安定な時代に、救いの少ない悲恋は流行らんかったんかしら。
平均寿命が約30歳だった飛鳥時代。今よりもずっと不便だった時代、働いて、洗濯して、火を起こして、食事を用意して、家族を助けてご近所さんを助けて、眠って。それだけで人生の何割を費やしたろう。自由になった時間は一体、1日のうち何時間あったろう。残された少ない時間の中で、燃えるように生きた人たち。1つの恋をするにも命がけやったんでしょうな。生きているうちに、一体いくつの恋ができたんでしょうか。
恋するだけで、
無尽蔵のエネルギーを得られるんやなあ。
恋をするって、すごいなあ。
佐用姫岩
佐賀県唐津市和多田先石11−78
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