ビワイチ旅・番外編 壮大な道草(後編)
前回は理系の観点から
琵琶湖博物館を楽しみました。
後編はちょっぴり文系寄り、karateの得意分野です。
今回のラインナップは、こちら・・・
◆ブラタモリファン必見!
◆地質で読み解く琵琶湖の姿
◆琵琶湖は交通・行商の要衝!
◆行き交う船に古を思う
◆琵琶湖は葦(よし)と共にあり!
◆生き物と歴史を支える葦のヒミツ
◆夕焼けに映える古の橋
「瀬田の唐橋」が現代に醸す風情
ブラタモリファン必見!
地質で読み解く琵琶湖の姿
琵琶湖は湖。それはそうです。
だから油断していました。まさか、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/99D0A334-AEF7-494A-9712-78372E85F2FE-1024x768.jpeg)
こんな本格的な地質調査の展示があるなんて!!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/5FC22090-7396-4D94-B14E-9F9D96A122DA-1024x768.jpeg)
展示自体は結構歴史を感じるコンテンツですが、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/EB9D7D1C-A81D-42A8-98F1-7164EB00A004-768x1024.jpeg)
ほ、本格的…!ジオパーク顔負け。
水生生物の展示室で「琵琶湖は古代湖」とあります。
一説によると400万年前から存在していたとか。
10万年で古代湖扱いしてもらえるのに、
琵琶湖はケタが違うぜ。
それは確かにスゴイ。
湖の平均寿命は数千年から
長くても数万年と言われている中、
400万年はスゴすぎる。
地球に古代湖は20ヶ所程度しかないのに
この小さな日本にそれがあるなんて。
だから疑問に思いました。
じゃあ琵琶湖はなぜこんなにも長生きなのか?
湖になるにはいろいろな条件が必要です。
・川から水が流入する。
・岩盤等、排水されにくい条件がある。etc…
そういった条件が揃っていても
川が運んでくる土砂が積もっていくと
埋まってしまう。それが湖。
でも、琵琶湖は埋まらない。
埋まらないどころか、
あんなに大きくなっちゃって・・・
埋まらないのは「琵琶湖西岸断層帯」のおかげ。
こちらをご覧ください。
(いっぺん、言うてみたかったw)
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2020/12/琵琶湖西岸断層帯-1024x683.png)
汚くてスイマセンww
琵琶湖の西側には比叡山を始めとする
比良山系の山々が連なっています。
琵琶湖の南部~東部には
草津・守山・彦根などの大きな街もいくつかあって
住む人も観光客も、歴史的建造物も多いのです。
それだけ東側には
平地が広がっているということでしょうな。
一報、西側は湖岸をロードバイクで走っていても
すぐ近くに高い山がそびえているので、
結構な圧迫感を感じます。
それだけ西側には平地面積が狭いのです。
それもそのはず、土砂が堆積しなければ
平地はできない。
厳密には堆積しているのですが、
断層のおかげで堆積する端から沈んでいくので
地表に現れることはないんですね。
様々な偶然が重なって、琵琶湖はできたと。
そんな奇跡がお隣の県にあるなんて。
これからもいっぱい、琵琶湖には遊んでもらおう。
琵琶湖は交通・行商の要衝!
行き交う船に古を思う
そうこうしているうちに、
あれよあれよと文化色が濃い展示になってきました。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/7BF8C553-7D3A-4646-A48C-810E77225353-1024x768.jpeg)
え、マンモス?
琵琶湖にもおったんか・・・?
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/E4C6FFF4-617B-4CC6-9A89-431AB9D99229-1024x768.jpeg)
お腹の下から見上げられるという
粋な展示!!
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/4A9E6FFE-0614-42D9-A8E8-E78D3951F7E1-1024x768.jpeg)
研究所の展示は数多の子どもが。
将来、研究員になる子も出てくるかしら。
ビリリダマとかコイルが好きになるんかしら。w
さて、琵琶湖といえば交通の要衝。
街道を歩く人、琵琶湖上を舟で行く人、様々です。
「急がば回れ」ということわざも、
ここで生まれました。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/47DCED9A-2021-4678-89B2-2796FB3C0D0A-1024x768.jpeg)
湖や川を行くなら、これくらいのサイズが
ちょうど良いんでしょうな。
琵琶湖ならこの5倍大きくても大丈夫そうやけど。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/4099808B-D3EF-4FCA-83A5-978A8B6B18BC-1024x768.jpeg)
渡船に使うには大きいような気もしますが
行商に駆り出されるには少し小さいかしら。
お次は、橋の展示。
橋の展示って、何がおもろいねん!
とお思いのあなた、あなどるなかれ。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/581E307C-E2DF-48C8-8D3E-166CB7BFEBC6-1024x768.jpeg)
ジオラマ!しかも橋だけなんて贅沢!!
さすが橋の展示コーナー、あくまで橋が主役。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/D786C494-A88A-4DA8-9EBC-E16ED1E8D7E3-1024x768.jpeg)
見上げると展示室の柱から天井まで
橋仕様。ニクイ演出。
瀬田の唐橋といえば、karateがいつも
ビワイチを出発する地。
個人的には人並みならぬ思い入れのある、
古の姿を残した風情ある橋です。
というか、橋というだけでロマンを感じるのは
karateだけでしょうか。w
橋とは、向こう岸とこちら側をつなぐもの。
舟だって例外ではありません。
此岸と彼岸、ルビコン川を渡る覚悟、
向こう側の世界というのは、
やはりロマンあふれるものですよね。
人の多く行き交う瀬田橋、もとい勢多橋。
史実に浮かばぬ出会いや別れも、多く見守ってきたことでしょう。
そりゃあもう、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/2887A014-4486-4303-A692-CD85D320B6ED-1024x768.jpeg)
歌も詠みたくなるってもんです!w
それにしても不勉強でした、
琵琶湖南部には大津宮という都があったんですね。
近江大津宮(おうみおおつのみや)
667年に天智天皇が奈良の飛鳥から滋賀の大津に都を遷都。白村江の戦い(唐・新羅vs百済・倭)で大敗した後、湖と山に囲まれ防衛に適した大津に都を移したものの、わずか5年で廃都。671年に天智天皇が崩御後、都はすぐに飛鳥へ戻ることに。この5年の間を近江朝と呼ぶことも。
まさか滋賀が首都だった時代があったなんて。
でも考えればこれだけの資源を持つ琵琶湖、
恩恵にあずかりたい人々は多かったでしょうな。
ただ、水害は頻発してたでしょうね。
だから都には向かなかったんかしら。
琵琶湖は葦(よし)と共にあり!
生き物と歴史を支える葦のヒミツ
葦って、ご存知?
「人は、考える葦(あし)である」の、葦。
ヨシとも読みます。葦簀(よしず)が良い例。
夏になると重宝しますよねえ
karateの実家では今も現役で毎夏、大活躍です。
琵琶湖の生き物は、この葦のおかげで
命を繋いでいるといっても過言ではありません。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/AA5F201A-8C57-4CED-9141-DEF8050087D3-1024x768.jpeg)
カヤネズミの展示がありました。
実際に巣を作って、この中で生活しています。
夜行性のようで、昼間はなかなか姿を拝めませんが
代わりに映像で、活動している姿を見られます。
日本最小のネズミ、かわいらしいですね。
アメ村に跋扈する巨大なネズミさんたちとは
愛嬌が違う。w
このカヤネズミ、準絶滅危惧種に数えられています。
とくに愛知を始めとする中部地方では準が取れて
絶滅危惧種になっているとか。
イネを食べると誤解されてきたため
捕まえて殺されることもしばしば。可哀想。
主食は雑草の種やバッタ。
むしろ稲作にとっては害獣ではなく益獣では・・・
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/F4E71E4B-E5CF-4453-88D0-184ADA5A6F39-1024x768.jpeg)
茅葺屋根を始めとする、葦の文化。
目を引いたのは、右手に見える葦タワー。
これ、巨大な松明(たいまつ)らしいのです。
毎年4月14日・15日に八幡まつりが行われます。
初日が松明まつりで、おまつりで使う松明は
10mにも及びます。めっちゃ燃えそうww
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/7E8B5AB1-5B05-4184-A209-C7FCC50A7D95-1024x768.jpeg)
昔ながらの家屋の展示もありました。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/7217F144-A91E-430E-A3E0-7D9D3DDB548B-1024x768.jpeg)
これは「おくどはん」どすな。
「くど」というのは、京都の方言で「かまど」のこと。
「竈」の字も、今となってはすっかり一軍級の漢字、
書けずとも読める人口は、
この1年で一気に増えたんやなかろうかw
八百万の神々がいる日本、実はかまどにも
「くど神」という神さまがいらっしゃいます。
竈だけではなく、昔は家の中でも
たくさん神さまと暮らしていたみたいですね。
神さまが存在するかどうか、
いないなんて言う人も大勢いますが
確かに物理として存在するわけではないでしょうね。
でも、信仰が人々の行動を諫めたり
逆に後押ししたり。
触れられないことがすなわち
存在しないわけではない。
じゃあ、それは存在するということに
なるんじゃないでしょうかねえ。
おくどはんに触れて、神さまを身近に
感じずにはおれないkarateでした。
夕焼けに映える古の橋
「瀬田の唐橋」が現代に醸す風情
外に出ると、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/781EB295-2CE4-4A05-91F3-909D4306AB3B-1024x768.jpeg)
すっかり夕方!
博物館に時間ごっそり持ってかれた!ww
慌てて南下し、出発地点の瀬田を目指します。
琵琶湖博物館のある守山から瀬田までは
ほんのわずかな距離です。
あっという間に
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/8FD8E0DB-F0E6-477D-9792-1E3B248705FE-1024x768.jpeg)
「瀬田の唐橋」へ到着です。
こちらからだと、やや風情不足かしら。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/01377AB7-6A32-42C1-A859-81151400D11F-1024x768.jpeg)
こちらで、いかがでしょう!
素晴らしい姿を残してくれています。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/2FF7C326-645A-4FAD-84EE-C6EEEDCDD1AF-1024x768.jpeg)
もちろん、木造というわけにはまいりませんので
ばっちり現代の技術を備えています。
せっかくなので、橋を渡ってみましょう。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/85D104F1-0089-44D9-A281-1336DA414D43-1024x768.jpeg)
京都の橋にも負けぬたたずまい。素敵。
無理もありませんな、だってこの橋、
『日本書紀』に既に名前が見られます。
めためた、歴史のある橋です。
そしていくつもの戦乱の渦中にもなった橋。
壬申の乱、治承・寿永の乱、本能寺の変・・・
「唐橋を制する者が天下を制す」と言わしめるほど
この橋は物流・交通の要衝でした。
瀬田の唐橋のわきの歩道には、こんなものが。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/AA8DCD64-A540-4116-A41A-5D43346315F0-1024x768.jpeg)
ヘビですね。ムカデは可愛くできないですもんねw
瀬田の唐橋には、こんな逸話があります。
俵藤太(たわらのとうた)のムカデ退治
平安時代のこと、ある日、藤原秀郷が唐橋を渡る折、橋に大蛇が横たわっていました。その大きさ、なんと60m。が、秀郷は大蛇を踏んづけながら、橋を渡って行きました。大蛇の正体は、龍神さまでした。この龍神さま、近くで散々悪さをする巨大ムカデに困り果てていました。勇敢な秀郷を見込んで、退治をお願いしたのです。
すぐさま3本の矢を持って巨大ムカデに立ち向かい、3本の矢をもって見事に退治しました。退治の御礼に、米が減らない米俵、切っても減らない反物、美しい音色の鐘、食べ物のあふれ出る鍋をもらいました。なくならない米俵にちなんで、秀郷は「俵藤太」と呼ばれることに。
だから、ヘビがあしらわれているんですね。
これは神さまなわけだ。皆、踏んづけてるけどww
そして近くにはさらに、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2019/11/C636BB4F-03CA-470E-BCD6-CEE7B98842C4-1024x768.jpeg)
瀬田城跡の石碑も。
山岡氏の平城、膳所城と大津城、坂本城と並んで
「琵琶湖の浮城」と呼ばれていました。
坂本城といえば、明智光秀の居城ですな。
今は石碑が残るのみで当時の陰は見られません。
でも浮城と呼ばれるほどですから、
さぞ美しい城だったのでしょう。
見てみたかったなあ。
さて、たかが寄り道されど寄り道。
急がば回れを体現した今回の旅でしたが
歴史も文化も自然も、てんこ盛りでした。
いよいよ、当ブログのタイトルも
揺らいできましたねwww
丸一日使っても満足いくほどの施設です。
それなりの時間的余裕をもってお越しください。
琵琶湖博物館
滋賀県草津市下物町1091
Mapはこちら
前編は、こちらからどうぞ・・・
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