京都に豊臣秀吉の遺構?ブラタモリで話題沸騰「御土居」ぐるっと半周旅(後編 今宮神社寄り道)

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「御土居」ぐるっと半周旅 やっと後編

思い切った寄り道のおかげで
まさかの三部作になってしまいましたww
ロード・オブ・ザ・御土居・・・!!

後編では今宮神社に寄り道して、
半周旅、最後の御土居へ向かいます。

今回のラインナップは、こちら・・・

◆寄り道といえばグルメ・スイーツ!
「名物あぶり餅」の変わらぬ味わい
◆壮大な寄り道・最終章
「今宮神社」の宗像三女神
◆今宮神社の奇石!
「阿呆賢さん」へ病気平癒の祈り
◆今回最後の御土居!
「鷹峯旧土居町3」の御土居は〇〇化!?

寄り道といえばグルメ・スイーツ!
「名物あぶり餅」の変わらぬ味わい

少し南下してきて、「今宮神社」へ。

例によって正面から入らないという。w
今回は寄り道上、やむなくです!
でも脇道から入る方が風情がありますな。

境内へ入る手前、あぶり餅のお店があるのですが
来るのが17時前だったので、既に店じまい。

今宮神社といえば、あぶり餅!というくらいには
有名なお店です。

今宮神社 あぶり餅

こちらがあぶり餅。
あぶった餅に甘い白味噌のタレをかけて
見た目にはみたらしっぽいですが
白味噌なので、また違った奥深い味わい。

今宮神社前では2店舗でいただけます。

一文字屋和輔(あぶり餅一和)
京都府京都市北区紫野今宮町69
Mapはこちら

あぶり餅 本家 根元かざりや
京都府京都市北区紫野今宮町96
Mapはこちら



 

壮大な寄り道・最終章
「今宮神社」の宗像三女神

寄り道の寄り道はここらへんにしておいて
本題の寄り道に戻りますw

入ってすぐに、神馬舎がありました。

神社ですから珍しくないんですが、

この瓦の紋が珍しくて、
立ち止まってしまいました。

今宮神社の神紋である
三階松(さんがいまつ)ですね。
入り口の垂れ幕にもありました。

神社は菊花紋三つ巴紋が多いんですけど
こうしてその神社ならではの紋を見ると
歴史をたどりたくなってしまいます・・・!
karateの癖というか、偏愛がうずくわけですw

菊花紋は天皇家の御紋ですのでわかりやすいですが
三つ巴紋は名前からはピンとこないかも。

紋の姿でいえば、雷さまの太鼓の表面に描かれた
模様といえばわかりやすいでしょうか。

この紋ですね。
実は巴紋、日本では縄文時代くらいから見られるもので、歴史は相当古いです。神社の巴紋については神楽の舞の動作からきていると考えられていますが、風や雲、水の渦、蛇、胎児などを模しているとも言われており、3つの力が拮抗している様を表しているとか。瓦に多く用いられているのは、水難除けの目的があるようです。発祥については、現在も確かなことはわかっていません。

それに加え、似たような紋は世界中で確認できます。ヨーロッパでは三脚巴が有名でしょうか。往年の大河ドラマ『いだてん』OPのシンボルマークは、横尾忠則氏のデザインでしたね。あれも三脚巴でした。アイルランドやシチリア、古くは古代ケルトにも見られますので、何やら人間の根源的なイメージがあるのかもしれません。日本のものは中国や韓国から伝わったとは思うのですが・・・

あかん、紋章オタクが出てきてもーた。
再び本題に戻りますね。w

神馬舎の次に現れたのは、
宗像(むなかた)社でした。

京都でお目にかかるのは初めてかも。

宗像三女神(むなかたさんじょしん)

アマテラスとスサノオノミコトが誓約する際に生まれた、道の最高神であり、交通から航海までを守る海の神さま。
長女がタゴリヒメ、次女がタギツヒメ、三女がイチキシマヒメ。三人とも大変な美人だったとされる。弁財天の化身とも。
タゴリヒメは日本最西端である沖ノ鳥島に鎮座。外敵から日本を守ってくれている。
沖ノ鳥島は島自体がご神体であり、女人禁制一般人も立ち入ることができないが、年に一度だけ、選ばれた200人の男子のみが入ることを許されている。それでも上陸する際には全裸になって禊をしてからでなければ、その地を踏むことはできない。

 

何とも、現代とは思えないしきたりですな。

お社の台座を見てみると、確かにナマズが。

美人の神さまの遣いがナマズとは、地味。w
海の神様やのに、遣いは淡水魚なんですねえ。
そうか、弁天さんの遣いやからナマズってことか。

 

そのまま境内を横切って、表から入り直しました。

こちらにも三階松の紋がありますな。

そして狛犬は・・・

 

こんな感じ。
やや筋肉質、ソフトマッチョですねw

朱塗りの門には所々、彩色が見られます。

木鼻にも意匠と彩色がありますね。
凝り過ぎていないところが控えめで
全体のバランスをよく取れています。

改めて境内に入り直して、

奥へ進むと左手に鳥居が。

奥には新しそうな木製の鳥居。
足元だけ石になっています。珍しい。
傷みにくいように、ということかしら。

こちらのお社は、

月読社(つくよみしゃ)とあります。
夜を治める神さまですね。

月読命(ツクヨミノミコト)

黄泉の国から帰ったイザナギが禊をした際、右目を洗ったときに生まれた神さま。
左目を洗ったときはアマテラスが、鼻を洗ったときはスサノオが生まれている。
アマテラスは昼の世界、ツクヨミは夜の世界、スサノオは海原を治めるよう仰せつかる。

 

スサノオだけショボい感が否めませんw
本人も気にしていたみたいで、
間もなくダダをこね始めますww

この月読社、境内の中で最も高いところに
造営されています。

主神よりも高いところにいるのは
神さまとしての格が高いから、ということかしら。

一番奥へ進むと、本殿があります。

健康長寿・良縁のご利益があるこの神社、
お祀りしているのは

大己貴命(オオナムチノミコト)
事代主神命(コトシロヌシノミコト)
櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)

の三柱の神さま。

オオナムチは別名、大国主。大黒天の化身。
国造り・縁結び・農業の神さま。

コトシロヌシは大国主の息子。恵比須様の化身。
商売繁盛の神さま。

クシナダヒメはスサノオの奥さん。
五穀豊穣・縁結びの神さま。

縁結びが強めの神社ですね。
あんまり推してない感じですけど・・・

そういえば「玉の輿に乗る」という慣用句、
この「玉」って何なのか、ご存知かしら。

実は今宮神社は別名、玉の輿神社!
なんてキャッチーな二つ名なんでしょう!!w

徳川家光の側室に、
桂昌院という方がいらっしゃいます。
この方、実は西陣の八百屋の娘。
それが将軍に見初められて側室にまで
上り詰めるという、和製・シンデレラですな。

彼女によって復興されたのが
この今宮神社

玉の輿の「玉」は、彼女の嫁入り前の名前、
「お玉」からきているそう。
以来、玉の輿神社と呼ばれるように・・・

「輿」というのはお神輿(みこし)の輿です。
貴人の嫁入りの際、輿に乗って嫁に行っていたそう。

これらを併せて「玉の輿」と呼ぶわけですな。



 

今宮神社の奇石!
「阿呆賢さん」へ病気平癒の祈り

あともう一つ、拝殿の東側に、不思議な石があります。

「阿呆賢(あほけん)さん」と呼ばれているこの石、
撫でれば病気平癒のご利益があるとか。

阿呆賢さんを撫でてから病気の部分を撫でると
回復力が上がる!!

それだけではなく、重軽石(おもかるいし)でもあるそうで。
重軽石といえば、伏見稲荷大社ですな。

三度叩いて持ち上げては置き、再度願いを込めて三度叩いて
持ち上げたときに軽くなれば、願いが叶うというもの。

早速、karateも撫でてみます。

すりすり。

しかし、karateは超健康体。
どこも悪いところはありません。

今回はばあちゃんの背中痛、おとんの成人病平癒と、
相棒の病気平癒をお祈りしてきました。

欲張りすぎたかな。w

今宮神社
京都府京都市北区紫野今宮町21
Mapはこちら

今回最後の御土居!
「鷹峯旧土居町3」の御土居は〇〇化!?

さて、本編より寄り道のボリュームが大きすぎますなw
北半周御土居旅も最後の御土居になりました。

鷹峯旧土居町3の御土居へやってきました。

え、ここ?w
こんなん見落とすわ!!ww

町内の掲示板で確認してみると

確かに土居町とあります。御土居に違いありません。

それにしても民家の狭間すぎる。

奥へ進んでいくと、

階段がありました。上ってよしということですね。

階段を上がると、

まさかの憩いのスペースになってたw
これでもか!というくらいベンチがあります。

ホンマに御土居なんか、不安になってきた・・・

いや、ちゃんと御土居でした!よかった!!
近くに住む人にお話を聞きたかったのですが、

にゃんこしかおらず。本当に静か。

こちら側から見るとそんなに大きな御土居に見えませんが
裏手に回ると、

その大きさがうかがえます。
やっぱハンパやないですね、この土木工事規模。

全長22.5kmに及ぶ防塁ですが、古地図を見ると不可解な点があります。

karateはすっかり防塁だとばかり信じ込んでいたのですが、防塁というものは外敵から身を守るためのもの。守るべくは天皇だったと考えられます。あるいは天皇以下の公家たち。
そうであればここまで大規模な囲いは必要なかったように思います。東西はともかく、南北なんて田畑ばっかりでしたし。

南北に伸びているのは、鴨川の氾濫から都を守るためだと言われています。防塁+堤防ということであれば納得ですな。

ただ堤防ということであれば東側以外の防塁は必要なかったと思います。街道に通じる道にのみで入り口を作っていたようですし。
同じようにしつらえたのはやはり防衛のためでしょうか。心配性な秀吉の気質が見える気もしますが、それにしてもここまでして天皇を守る必要があったのかしら。

それには同時期に行なっていた秀吉の政策にも原因があるように思います。朝鮮出兵ですな。かなりの兵力を朝鮮に割いていたので、都の防衛は手薄だったことでしょう。
特に2016年に見つかった北区の防塁に関しては堀も深く、高低差は9mもあり、壁の斜度も45°という、かなり防衛に気合を入れて造っていたようです。

 

2015年にブラタモリで御土居がフィーチャーされて以来、各種ツアーもたくさん組まれているようです。
でもkarateはツアーになると決められたコースを回らざるを得ないので、あんまり好きではござんせん。

旅は、寄り道にこそ神髄ありと見たり。ネットで調べて答えを知るような最短距離を行く学びは、正直好みではないっす。
寄り道で得る知識は余計に見えるかもしれませんが、その時点で役に立たない知識の堆積が、他を学ぶ上で大団円を結ぶことが多々あります。

せっかく勉強するんですから、点の知識より線の知識を得たいですね。その方が面積を描きやすい。

御土居巡りの折は、自転車での旅を強くお勧めします。
どどん。

御土居(鷹峯旧土居町3)
京都府京都市北区鷹峯旧土居町3
Mapはこちら



 

 

前編・中編は、こちらからどうぞ・・・

京都に豊臣秀吉の遺構?ブラタモリで話題沸騰「御土居」ぐるっと半周旅(前編)

京都に豊臣秀吉の遺構?ブラタモリで話題沸騰「御土居」ぐるっと半周旅(中編 大徳寺寄り道)