博多・中州近くの勝立寺で、西郷隆盛と明石元二郎に出会う!!

他府県の寺社仏閣
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博多はウマいもんだけって?

博多のことを尋ねると、地元の皆さま口を揃えて
「ご飯は美味しいけど、あとは何もない」
と仰る方が、それはもう多いこと多いこと。

何度でも言います。
博多は観光地てんこ盛りです!!

今回は前回最後に少し出てきたお寺へ。
西郷隆盛明石元次郎に会いにきました!
ラインナップは、こちら・・・

◆博多のお寺歩きの極意
「勝立寺」への参拝方法
◆お寺に征伐軍陣営地?
「西南戦争」に散った西郷隆盛
◆境内には黒田氏と明石氏のお墓も
「明石元次郎」ってどんな人?

博多・お寺歩きの極意

博多には寺社がたくさんあります。
街のど真ん中、ビルの谷間にだって
ちゃんと残してくれているのです。

その辺りは京都と少し似ている気もしますが
1点、京都とは違うところがあります。

それは・・・
「観光客ウェルカム」ではない!
ということ。

悪口に聞こえたら申し訳ないのですが
博多の寺社は超ビッグネームでない限り、

①案内看板がない。
②境内図もない。
③ていうか、閉まってる。

というところが結構あります。

普通のお寺って、こういうもんなんかなあ。
京都という観光大国というぬるま湯に
つかり過ぎたんかしら。w

観光Mapのトップを飾るような
櫛田神社太宰府天満宮なんかは
観光客をお迎えする準備は整っています。

少しマイナーなところはあらかじめ
参拝方法開放日時を確認することを
おすすめします。

さて、なぜこんな話をしたのかというと、

勝立寺も閉まっているからです(泣)

近くに参拝についての説明書きを探します。

うん、わかった。w

ネットで調べてもイマイチ
お参りの仕方がわかりません・・・

というわけで、電話してみました!
すると、
「門の左の門を開けているので、そこからどうぞ」
とのこと。
門の左の門?トンチなのか??

あ、これね!ww

うーん、これは難易度高いというか
電話せんかったら勝手に入っていいのかも
判断しかねる感じですよね。w

一旦、ジムショまで来てくれとのことだったので
奥へと進んでいきます。

あんまりお寺っぽくないというか、
なんだか家っぽい。
てかジムショって、事務所?

ここがジムショね。
社務所とちゃうんかと思い、ふと気づきました。

お寺やねんから「社」務所ってオカシイやん。
まさかジムショって、「寺」務所ってことか!

なるほど、今更知りました。お恥ずかしい。

中に入ると、参拝の心得が。

ほな、お参りしようかしらと靴を脱ぎかけると
「すいません、今日は親戚が来てまして」
と、やんわり断られました。
あんまりお参りに来はる人、おらんのかな・・・
代わりに玄関で合掌して、お参りを済ませました。



お寺に征伐軍陣営地?
「西南戦争」に散った西郷隆盛

そういえば西南戦争ゆかりの石碑があると
聞いてきたのですが、境内に見当たりません。

お寺の方に尋ねると、外にあるとのこと。
ご案内いただいて、一旦境内の外へ。
その道中、

こんな立派な鐘楼が!
全然気づかんかったw
やっぱり少し大陸の香りがします。

外に出て、駐車場の方へ向かうと、

こ、こんなところに・・・

征討総督有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王假本営阯

とあります。
征討総督というのは、
西南戦争の政府軍のことですね。

西南戦争

明治政府発足後、海外留学組(大久保利通ら)居残り組(西郷隆盛ら)で政府内で対立。征韓論を認めてもらえなかった西郷は明治政府を去り、薩摩へ帰ります。
その後、士族たちは政府による士族いじめ(版籍奉還や廃藩置県、廃刀令など)に不満を募らせていく。西郷はそれらを束ねて、反乱を起こさせないように私学校を開きます。
しかし、政府にいる大久保から密偵が送られてきた折、西郷暗殺の情報を聞き、士族たちは激昂。反乱を起こして西南戦争へと発展していきます。旗頭として先頭に立った西郷は、戦争の最中、銃弾を受け負けを悟り、自刃することになります。

薩摩で共に育った西郷と大久保。
自分のやりたいようにやって散った西郷。
誰もやりたがらないことを背負った大久保。
大久保は後に暗殺されることとなりますが、
その懐には西郷からの手紙が。
お互い、本当に望まぬ結末だったのでしょう。

西郷も可哀想やけど、karateはこの話をきくと
いつも大久保に感情移入しまくって、
涙なしにはおれません・・・

境内には黒田氏と明石氏のお墓も
「明石元次郎」ってどんな人?

今回、こちらに参ったのは
もう一つ、目的があったからなのです。

それは、明石元二郎のお墓。
今の台湾が親日の国であるのは、
彼のおかげと言っても差し支えないでしょう。

お墓を写真に撮るのはちと気が引けましたが
まんまんちゃんして、撮らせていただきました
奥には鳥居があります。

黒田家に仕えた明石氏のお墓。

お歴々のお墓の並ぶ中、

こちらの中央のお墓が、

明石元二郎の遺髪が眠るお墓。

東日本大震災の折、台湾から届いた義援金は
総額253億円でした。
中国から、ではなく、台湾単独で。
下手したら中国よりくれてるんちゃうか・・・
アメリカが750億円ってことを考えると
ちょっと凄すぎます。

明石元二郎の功績は、なぜか
「知る人ぞ知る」状態。
日本人は親日の国のことを
これまたなぜか、よく知らない人が多い。
悲しいことです。

明石 元二郎(1864-1919)

明治~大正を生きた、福岡藩出身の陸軍大将。大きな事績としては、日露戦争時の諜報活動台湾近代化の祖となったことが挙げられる。
日露戦争時は諜報活動資金100万円(現在の100億円超)をもとに革命家と接触、資金提供をするなどしてロシアを内部から混乱させ、ポーランドやフィンランドの独立運動にまで発展させた。日露戦争の勝利とロシア革命がなったのは、彼の功績によるところが大きい。
また台湾総督府時代は、インフラ整備や教育、農業改革に至るまで、1年4ヶ月の間に様々な近代化促進をはかった。50代半ばで帰らぬ人となるが、「死後は台湾に埋葬してくれ。まだ台湾の近代化も途中にして倒れてしまっては痛恨の極み。死んで鬼となり、台湾を守りたい。」とまで話し、台湾に並々ならぬ想いを寄せていた。

 

東郷平八郎乃木希典など、著名な軍人は薩摩や長州出身者ばかり。日の目を見ない筑前の人たち、かわいそう・・・。その他にも、明石が諜報活動を行なっていたことも、もしかしたらメディアで紹介されない一因なんかなあ。諜報活動と聞くと、ほの暗い印象を受けがちですもんね。

明石元二郎は愛すべきキャラクターであり
なおかつ頭も切れた凄腕軍人だったことが
調べるほどに伝わってきます。

NHKで特集、組んでくれへんかなあ。w

 

勝立寺
福岡県福岡市中央区天神4丁目1−5
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