幕末の志士・高杉晋作
面白き こともなき世を 面白く
有名な短歌の上の句です。
高杉晋作が辞世の折に詠んだ歌と言われています。
(本当は亡くなる4ヶ月前に詠まれたそう。)
この歌には下の句もあって、
すみなすものは 心なりけり
これをつけたのが
野村望東尼(もとに・ぼうとうに)
と言われています。
高杉晋作といえば、長州藩出身の攘夷志士。
松下村塾で吉田松陰の教えを受け、
奇兵隊という部隊を組織、
幕府軍10万に対して奇兵隊4,500で打ち勝つという
目覚ましい成果を上げた人。かっこええ。
長州藩出身ではありますが
博多に所縁の地があると聞いたので、尋ねてきました。
今回のラインナップは、こちら・・・
◆空腹時はやはり花より団子!
「Fusuku Coffee / Baguette」
◆真っ直ぐスリムなプレッツェルって?
◆平地にあるけど山荘だよ!
「平尾山荘」野村望東尼に集う勤皇志士
◆高杉晋作と野村望東尼の出会いに思う
空腹時はやはり花より団子!
「Fusuku Coffee / Baguette」
真っ直ぐスリムなプレッツェルって?
高杉晋作を訪ねる前に、腹ごしらえを。
どこで何を食べようかなーと思案していると
そういえば昨晩、Barで隣になったお客さんから
「あそこのプレッツェル、美味しいよ!」
とおすすめいただいたので、
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「Fusuku Coffee / Baguette」さんへ!
場所は少しわかりづらいかもしれませんが、
六本松の蔦屋書店の南側、
科学館や検察庁の東側の
南北に走る道路沿いにあります。
それにしてもプレッツェルってアレですよね、
ハート型の細くて甘いお菓子ですよね・・・
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/05/pretzels-1467655_1280.jpg)
そうそう、こういうの。
べっとりチョコレートがコーティングされてたり、
砂糖がまぶしてあるような・・・
karateは朝ごはんはしょっぱい派なので少し心配。
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店内はカウンターが5席ほどと、
テーブル席が3つくらいあったかな?
酒瓶がたくさん並んでいます。
週末は夜遅くまで営業しているのかも。
Barとしての側面もあるんかもしれません。
でも朝7時から営業しているのがありがたい!
モーニングはプレッツェルのセット。
ソーセージプレッツェルセット850円を注文。
それにしてもソーセージプレッツェルとは、
これ如何に。
ソーセージが乗っかってる?
挟むのは難しかろうし、隙間に挟まってるとか?w
悶々と考えていると、間もなく
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ヨーグルトにシリアル、じゃがいものポタージュに
ソーセージが挟まれたプレッツェルが到着!
え、こういうのもプレッツェルなんや!
プレッツェルって、パンの一種なんかな?
思ってた形と随分ちゃうなあ。
でも、甘さは心配せずとも良さそう。
パンの表面はつるっとしていて固い。
だからハード系のパンかと思いきや、
表面の固い層は薄くて、
すぐに中のしっとりした生地にたどり着きます。
これは、プレッツェル単体でもかなり美味しい。
そこにこのどっしりソーセージ。
ウマくないはずがない。
ぺろりと平らげてしまいました。
あと2本いけるな。w
ごちそうさまでした。
Fusuku Coffee / Baguette
福岡県福岡市中央区谷1丁目12−30
7:00~18:00(水曜定休)
Tel:092-406-7745
平地にあるけど山荘だよ!
「平尾山荘」野村望東尼に集う勤皇の志士
お腹も膨れたことですし、
お目当ての高杉晋作を尋ねてまいります。
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博多、高杉晋作所縁の地は、
「平尾山荘」という広場になっています。
遊具はないものの、子どもたちが
鬼ごっこをしていました。
敷地内の斜面に
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/F38C58CE-70F2-4BBC-A08A-F746FB4F6359-1024x768.jpeg)
小さな祠がありました。
その名も「小祠の石碑」、そのままのお名前。
扉を開けて中を拝むことができます。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/7C43E702-63C7-49EC-A4EC-F97860C173D7-1024x768.jpeg)
ぱかり。
ちと摩耗がひどくて内容は把握できませんでしたが
右手にある説明書きいわく、勤皇の志士である
平野国臣・中村恒次郎の歌碑とのこと。
野村や高杉以外にも、勤皇の志士たちの夢の跡が
ここにはちゃんと残っているんですね。
広場の中央あたりに、
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/BE3ED1A9-DDD1-471F-B765-B4E4BBFB7864-1024x768.jpeg)
野村望東尼の胸像がありました。
彼女、どんな人なんでしょうね?
野村望東尼(1806-1867)
維新の母と呼ばれた女流歌人。福岡藩士、浦野重右衛門勝幸の三女。幼いころから和歌や書道をたしなみ、勤皇思想に触れる。2度の結婚を経て、40歳で平尾山荘に隠棲。夫の死後、出家して大阪、京都へ赴き、尊王攘夷派の志士たちと交流を持つ。福岡へ戻ると、勤皇の志士たちに協力を惜しまず、その中には月照や高杉晋作など、歴史の中心人物たちとも深い関りがあった。
福岡藩の攘夷派弾圧が強まる中、野村は姫島へ流刑になるも、高杉晋作たちの手引きにより脱出。その後、病に伏せる高杉の看病をし、看取ることとなる。その折、かの名句を詠み合ったという。
高杉晋作だけでなく、数々の志士たちの
本懐を遂げるための心の母やったんすな。
彼女自身も危険をかえりみず、
補佐役として命をかけていたのでしょう。
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敷地面積のわりには
石碑やほこらがあちこちにあります。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/B8FD9E35-D77E-4689-BE43-5F773407DD6F-768x1024.jpeg)
武士(もののふ)の やまと心を よりあはせ
~ただひとすぢの おほづなにせよ
ちと読みづらいですが、
「野村望東尼の歌」とありますな。
今、バラバラに動いている武士たちの心をまとめて、
大綱にして目的へ突き進め、
というところでしょうか。
変体仮名を一通り覚えていれば何とか読めるかな。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/9183AC4C-D682-43F5-8EA8-8952F23877C0-768x1024.jpeg)
石碑の裏側には平尾村に望東尼が
隠棲していた旨が書かれていました。
確かにここに、維新を支えた女性がいたようです。
高杉晋作と野村望東尼の出会いに思う
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/6840E0F4-8D97-4247-84EB-48F821069AA6-1024x768.jpeg)
平尾山荘は敷地内に復元されているようです。
その手前に真新しい石碑がありました。
まごころを つくしのきぬは 国のため
~たちかえるべき 衣手にせよ
真心を尽くして縫った筑紫(現在の福岡)の着物は、国に帰るときに袖を通してくれとの意でしょうかね。
高杉晋作は長州藩を追われ、外部から長州を変えようと努めてきましたが、それは困難だと悟り、国に帰ることを決断しました。その折に野村から、一揃いの着物と共に送られた歌です。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/26D89768-1471-459E-9969-388E3FFB2B0F-1024x768.jpeg)
高杉の手前にあるのが、
きっとその着物なのでしょう。
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建物の内部を見学することができました。
無人だったので、小声で
「お邪魔します」とことわっておきました。
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/3C726651-D996-43F6-808A-95E1CB7AE4FB-1024x768.jpeg)
夫婦で過ごすには十分な広さです。
その夫も隠棲して間もなく亡くなってしまうので
ほぼ一人暮らしだったでしょう。
でも彼女を尋ねてくる血気盛る若衆が
この家をにぎやかにしていたのでしょうか。
どうして彼らは、生涯をかけて、心を燃やして、命をすり減らしてまで国を変えようと走ることができたんかな。今の日本人を見たら「こんな未来のために命を散らしたのか」と嘆くかしら。今の若者から見たら、彼らのことを「そこまでよおやらんわ」と嘆息するのかしら。
じゃあ、欧米から植民地支配を受けそうになれば、今の若者も逸るのかといえば、多くの若者は諦めそうな気もする。karate自身も含め、今の若者にとっての大切なものって、何なんやろう。やはり、「自分」、もう少し広げて「家族」くらいが限界なんかな。もしそうなら、とても悲しいすね。
karateにとって命をすり減らしてでも守りたいものって、何かなと考えました。でも、すぐに答えは出ました。普段からそんなに意識して行動はしてなかったけど、何が大切かはすぐにわかった。
お金は大事です。社会的地位も、権力も。でもそれらを大事と思うのは、自分の思い通りにしたいからでしょう。自分の思いを実現するための手段。だから、お金そのものが大事なわけでもないし、社会的地位や権力そのものに価値があるわけではない、それらはあくまで道具に過ぎない。
それらを得て、若い人たちは何がしたいんでしょうかね。ほとんどの人がそれを据えることなく、お金や地位や権力を追いかけているような気がします。それって、なんか空しい。
今の10代、ひいては20代を見ていて思います。夢見る力が弱い。自分ひとりでは夢を見ることができない。それは日本に将来がないということではなく、自己実現の意欲が乏しい。欲が控えめすぎるし、すぐに満足してしまう。エネルギーが少なすぎる。それを放ってはおけない。
今、10代の若者に向けて、夢見る力を養うべく活動を始めました。一人で夢を見られないなら、karateと二人で夢を見れば良い。他の子たちとともに、自分の中に眠る夢を掘り起こせば良い。
karateにとって命をすり減らすに値するものは、若者の夢、未来です。何をきれいごとを、と思われても仕方ないですけど、何というか、karateのエネルギーの根源は愛なのです。w
感情の乏しい人間です。喜怒哀楽の起伏が緩やかで、とくに怒が苦手です。ここからエネルギーを抽出できないのは、人間として大きな欠陥です。でも何かをなす以上、どこかからエネルギーを絞らないといけません。それがkarateにとっては愛でした。お節介が大の得意なのですw
でも、ここにもkarateの欲がありません。若者の夢や未来に尽くすこともまた、手段であるはずです。ではその先に何があるのかといえば、まだぼんやりして言葉にするのが難しいのですが、今のところ、「知的欲求」の占めるところが大きいように思います。
karateの尽力しない未來よりも、微力ながら尽力した未来の方が、karateが死ぬまでに多くのことを見て、知ることができるじゃないですか。ドラえもんが完成するまではせめて、生きていたいww
うーん、でもまだ綺麗すぎるな。もっときちゃなーい欲望があると思うんですけど、頑張って見つめ直してみますww
![](http://kyoto-meikyuannai.com/wp-content/uploads/2021/01/7DF7CE3A-EA57-490E-8292-9175ED0843EE-1024x768.jpeg)
公園で鬼ごっこをする子どもたちを見詰め、
この草庵を振り返る。
日本中のあちこちに、karateの心を映す鏡が
まだまだ眠っています。
平尾山荘
福岡県福岡市中央区平尾5丁目2
9:00~17:00
Tel:092-711-4666
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