あなたの知らない嵐山・千光寺。観光地の喧騒も届かぬ秘境には、人と鬼と、生と死と。

京都その他
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京都一大観光地・嵐山

嵐山といえば、
渡月橋、天竜寺、野宮神社、トロッコ列車

ガイドマップには必ず
大きな特集を組まれていますが、
同じような場所ばかりで、正直、
嵐山観光はお代わりする気になれません。
古典を研究していたkarateですら
1回見たらお腹いっぱいなんですw

でも嵐山には一言では語りつくせぬ歴史と
観光客の来ない花鳥風月を愛でる場所が
その奥地にあるのです。

今回のラインナップは、こちら・・・

◆嵐山は「山」なんです!登る前に
「櫟谷宗像神社」へお参りを
◆嵐山・断崖絶壁のお寺
「千光寺」は掘削事業貢献者のお寺
◆千光寺に見た優しい光

 

嵐山は「山」なんです!登る前に
「櫟谷宗像神社」へお参りを

嵐山エリアに到着したら、
渡月橋を南へ渡ります。
突き当りに温泉宿が見えますが、
すぐに右へ曲がり、山沿いを西へ。

モンキーパークの看板が見えますが
今日のお目当てはお猿さんではありませぬ。

櫟谷宗像(いちたにむなかた)神社です!
宗像ということは、宗像三女神かな?

社殿を覗いてみると、

ちと見づらいですが、
右には櫟谷大神
宗像三女神のうち、奥津宮に祀られる神さま。
またの名を
奥津島姫命(おきつしまひめのみこと)とも。

左には宗像大神
でも、櫟谷大神も宗像三女神のはず。
なぜ2つもあるのかというか、
なぜ2つしかないのかというか・・・

境内に由緒等の説明書きはなく、
この柱にかかる板のみ。
それによると、奈良時代からの名社とのこと。

御祭神にも言及してありました。
奥津島姫命と、
市杵島姫(いちきしまひめのみこと)
お祀りしているようです。

「平安時代、鋳銭は必ず当社に奉納せられた」
「福徳財宝の神」と書かれていますね。
宗像三女神、金運の御利益もあったんか・・・
初耳。

平日だったせいか、社務所は閉まっていて
人の気配は全くありませんでした。
静かな嵐山の始まりです。

嵐山の山奥へとお参りされる方は
道中、立ち寄ってみてはいかが。

櫟谷宗像神社
京都府京都市西京区嵐山中尾下町61
Mapはこちら



嵐山・断崖絶壁のお寺
「千光寺」は掘削事業貢献者のお寺

櫟谷宗像神社のあたりはお店もあり
星野リゾートの船着き場もあるので
観光地感は結構あるのですが、

これ、嵐山です。w
振り返ると、

渡月橋が見えます。
少し歩いただけで、
渓谷の底を歩いているような感覚に。

山へ向かって歩いていきます。

星野リゾートの迎えの船が来ました。

こちらはお客を乗せて、お宿へ戻っていきます。
更に歩いていくと、

GREAT VIEWとの看板が。
外国人が書かはったんかしら。

せっかく秘境めいてきてたのに
詫び寂び感、なくなっちまうぜw

さらに5分ほど歩くと、

渓谷の底にある岩が顔を出しました。
保津峡にある岩の多くがチャートという
硬いもので占められています。

チャート

放散虫という水中のプランクトンの遺骸が降り積もってできた、非常に硬い岩。1万年に1cmのペースで形成される。保津峡にあるチャートは2億5千万年前に、赤道付近で形成され、地殻変動や海退によって地表に現れた。

2億5千万年前かあ
壮大すぎてよくわからんなあw
まさか自宅からチャリでぷいっと行ける距離に
こんなスゴイところがあったとは。

それに川底が見えています。
水がキレイということもありますが、
この辺りの川は極端に浅い、という特徴も。

岩場を横目にさらに奥へ。
間もなく星野リゾートの船着き場に
到着します。

そのすぐ左手に、

「大悲閣」の文字が。
この先を登っていくと、お目当ての
千光寺があります。
尾道の千光寺と、何か関係あるんかな。

ここからは登山に近いです。
お洒落な靴で来ると後悔しまっせ。
だって、

杖の用意があるくらいですから・・・!
つづら折りの階段を、ひたすら登ります。

これが山門になるのかな?

間違いないっすね、大悲閣とあります。

お一人3回まで撞けます。

絶壁にあるお堂だけに、
清水寺の懸崖造りさながらですな。

あと少し、階段を上がると

柴犬のすみれさんがお出迎え。
お昼寝の邪魔をすると、噛んじゃうそうですw
13歳って言うてはったかな、
結構な御年です。

観音様にお参りします。

色々なものを手に持ってはる。
観音様のお隣には、

角倉了以像が。
参道の途中にも絵がありましたが
彼に所縁のあるお寺なんですね。

境内に縁起にまつわるものはないかと
少し探してみると、

あった!
けど摩耗してて読めない!!w
鬼のような形相で石碑を睨んでいたら、
おばあさまが、

「ここに書いてあるよ」と、

わあ、読みやすい。w
角倉了以と、掘削事業のことについて書かれていますね。

角倉了以(1554-1614)

江戸時代を生きた商人。角倉家は「京の三長者」のうちの一つ。商人としての彼よりも、大堰川(保津峡)高瀬川の開削に尽力した「水運の父」としての彼の方が有名かもしれない。齢49にして多方面に才覚をあらわし、ベトナムとの貿易、大堰川、富士川、天竜川、鴨川の開削、高瀬舟の導入など、この間わずか10年。工事にかかる費用の多くを、貿易で得た利益から出た自己資金でまかなった。高瀬舟については水深の浅い河でも航行できるよう、船底の平たい舟を採用。現在の京都市中京区に「史蹟 高瀬川一之舟入」に舟が展示されている。

こちらの縁起には彼の生まれと、大堰川開削の偉業が記されていました。大堰川はとにかく岩の多い河で、運河として活用するには航行の邪魔になる岩たちをことごとく取り除かなければなりません。その折に様々な道具や手法が活躍したようです。

①轆轤索(ろくろさく)
岩に綱を結んで、滑車を使って引き上げる道具。
②超長い鋭利な鉄の棒
水中の岩は尖った鉄の棒で突き砕いた。
③烈火
岩を激しい炎で焼いて砕いたのか、はたまた火薬を使ったのか…。詳細不明。

縁起を読みながらぶつくさ言うkarateの隣でニコニコ微笑んでいらっしゃるので、こちらの住職さまなのかなと思い、さらにお話を伺うと、おばあさまはボランティアでこちらの管理をされているとか。往復4時間かけていらっしゃるようです。駅からは少し歩きますからね。karateの足でも、渡月橋から30分くらい歩きましたから。
※チャートとのふれあい時間も込です、悪しからずw

千光寺は檀家さんがいるようなお寺ではなく、
角倉了以と掘削事業に尽力した人々たちの
ためのお寺だそうです。
維持するの、大変そうやな・・・

そういえば登ってくる最中、

こんな玉垣が。
世界中から建築関係のお仕事をされる方が
お参りになるそうです。

他にもただ山を登ってきて
1時間も2時間も景色を眺めて
そして下りていく方も結構多いそう。

そんなGREAT VIEWは、

こちらから拝めるそうです。
靴を脱いであがってみると、

すさまじい量の説法&説教!
まさか、これがGREAT VIEW!!w
Take Freeだそうです。
気に入ったお言葉があれば
是非帰り道のお供にしてあげてください。



千光寺に見た優しい光

紙の山がGREAT VIEWになるなら
図書館へ行ってまいれ!ってなりますよねw

ふと視線を上げると、

絶対にこっちのことですね!!

京都市内がよく見えます。
また天気の良いこと。

嵐山って駅周辺は一大観光地ですが、
もとは京都の3つの風葬地の一つ、
化野(あだしの)のある場所でもあります。

8/23・24は、京都の化野念仏寺の千灯供養へ。アクセスと見どころをご紹介

もちろん今は風葬は行なっていませんが、嵐山は生と死の境目でもあり、桓武天皇の築いた強固な結界の外。すごーく守りの手薄な場所でもありました。さらに嵐山の先には大枝山があり、最強の鬼と名高い酒吞童子(しゅてんどうじ)の根城でもありました。

酒吞童子

身長6m、5本の角と15個の目を備えた人喰い鬼。数多くの鬼を従え、人をさらっては喰っていた。酒が好きなことから、そのまま「酒吞」の名となった。源頼光(みなもとのらいこう・よりみつ)とその家来たちによって討ち取られたと伝わっている。

日本最強の怪異殺しである源頼光一行。酒呑童子のみならず、土蜘蛛退治牛鬼退治一条戻橋の戦い羅生門の鬼など、数々の鬼たちを懲らしめてきました。

源頼光は下級貴族。当時は宮中の警護にあたっていました。記録に残る彼の活躍は主に2つ。

①戦になりかけたけど、結局戦わずに済んだ話
②上司にキツネを射よと命じられたけど
「外したら恥ずかしいやん!」と嫌がった先で
何とか矢をキツネに命中させた話

うーん、
ほんまに強かったんかなあ。w

彼の逸話は後になって足利義満指導のもと、『大江山絵詞』の作成によって世に広まっていきます。彼の権威を保証するものの1つだったわけですな。

時の将軍、足利義満は南北朝の動乱を生きた人。逆らってくるヤツらは南朝に加え、地方の大大名まで。特に京近くで幅をきかせていたのは、丹波や丹後をまとめる山名氏。彼らとの戦いがそのまま、『大江山絵詞』に記されたわけです。もちろん、山名氏は鬼として登場します。土蜘蛛もそうですが、かくして朝廷に逆らう者たち=鬼となったわけですな。

さっき歩いてきた川が、
はるか下に見えます。

これだけ街から離れていれば自然、
葬送の地に選ばれるのも無理からぬこと。

京から見て西北にある嵐山は
黄泉の国があるとされた方角でもあります。

外があんまり寒かったもので
一旦室内に避難。

ん?何かしら。
北森鴻ファンノートとありますね。
こちらのお寺が舞台になったってことかしら。

その他、机の上に所狭しと並べられた
様々な説法や詩を拝見。

その中に、大学生の頃に出会った
黒住(くろずみ)教の言葉がありました。

心は主人なり、形は家来なり。
悟れば心が身を使い、迷えば身が心を使う

黒住教は幕末に起こった教派神道です。

三十代にさしかかり、仕事を始めて
そこそこの月日が経ちました。

大学生の頃は心が身を使っていました。
それは声を大にして言えます。

でも、今は?
身が心を使っていはしまいか。

目の前の忙しさにかまけて、
心を失っていたのではないのか。

karateにとっての心とは、何やったろうか。
就職するときに抱いていた野望は、何やったか。

十年前にできていたことが今できない悔しさ。
この地でkarateは、もう一度生まれかけています。

帰り道、宵の前の白い月と
飛行機の白い影が見えました。

街が茜色に染まり始めました。
10年後の自分はきっと、
あの辺りにいるのでしょう。

早く10年後に追いつけるよう
帰ったらすぐ行動を起こそう。

明日やろうは、馬鹿やろう!ですもんね。

大悲閣 千光寺
京都府京都市西京区嵐山中尾下町62
Mapはこちら