はるか遠く佐賀の地で、「唐津城」豊臣秀吉の見た夢の跡

ロードバイク
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全てが揃う佐賀の魅力

ちと前回はkarateの趣味の話が
長くなってしまいましたw

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今回は改めて唐津の海側へ。
雲一つない青空に
ペダルを踏む足も軽くなります。

お城でまさかのパズルゲームを迫られ、
あまりのパズルの才覚の無さに
膝を折ることになろうとは。w

今回のラインナップは、こちら・・・

◆お城に着くまでも気持ちいい!
「唐津城」橋と青空と緑と藤と
◆世界のうねりと、豊臣秀吉の見た夢
◆まさかの迷宮入り!?
石垣パズル、最後の1ピース

 

お城に着くまでも気持ちいい!
「唐津城」橋と青空と緑と藤と

唐津駅の北側にはお城があります。
その名も唐津城。わかりやすい。

唐津城へのアプローチとなる
舞鶴橋を渡ります。
ここを走るのも気持ち良い。

舞鶴橋の由来は、唐津城の別名からきています。
鶴が翼を広げたような姿を思わせる天守に
舞鶴城の名を冠するようになったとか。

とはいえ、舞鶴城と呼ばれるお城は
karateの知っているだけでも7つあります。w

・唐津城(佐賀県) 別名:舞鶴城
・田辺城(京都府) 別名:舞鶴城
・福岡城(福岡県) 別名:舞鶴城
・甲府城(山梨県) 別名:舞鶴城
・村上城(新潟県) 別名:舞鶴城
・米沢城(山形県) 別名:舞鶴城
・三春城(福島県) 別名:舞鶴城

皆、舞鶴の名前、好きすぎへんかww

唐津城に近づいてくると、

立派な石垣が見えてきました。
でもその上に建っているのは

まさかの学校・・・
早稲田佐賀高等学校とあります。
早稲田の付属は東京・埼玉・大阪にありますが
なんと、佐賀シンガポールにもあるらしい。
佐賀すげーな。

目の前にある道路を挟んで向こう側に
駐車場があるので、
端っこにロードバイクをとめて
徒歩で登城します。

そんなに上らずに済みそう。
とはいえ真夏に行ったので暑くて厚くて、

にゃんこたちも省エネモード。

近づいてもやっぱり、我関せず。
佐賀のにゃんこはおおらかです。

陶板の古地図がありました。
少し立体的なことを見れば
描かれたのは明治以降かもしれませんね。

さあ、ここからは

階段でございます。
健脚の皆さまであれば問題ない段数ですが
ご不安な方はエレベーターがあります。
ただし、100円かかります・・・w

できれば階段で上ることをおすすめします。
なぜなら、

緑が美しい。
階段しかないのに登城の道中、
これだけ緑があるのも珍しいです。
そして、

立派な藤棚が!
花の時季に来たら、さぞ綺麗でしょうて。

なんと樹齢100年!
そんな藤もあるんやな。
平成28年頃は病気がちだったようですが、
もう元気になったのかしら。

そしてあっという間に

天守に到着!!
再現天守とのことですが、
結構シンプルな造りです。

城塞装備として石落としっぽいものが。
こんな感じでついてるもんやったかな。

唐津城は海の際にあるので、

眺望は抜群です。
別方角からは虹の松原も見えました。

これだけ眺めが良いのは
唐津城が海沿いにあるからなのですが、
日本三大水城には数えられていません。
高松城・今治城・中津城も再建天守というか、
高松城にいたっては、
天守はないままやのに・・・

これだけ海に面しているなら
唐津城が選ばれても良いように思いますが
きっと専門的な言い分があるのでしょう。
したらば、唐津城についてお勉強しておこう!

唐津城

築城開始は1602年豊臣秀吉の側近が一人、寺沢広高が初代城主。徳川政権下になった折、彼は外様大名としてこの地に任ぜられるが、廃城になっていた名護屋城の廃材を用い、九州の大名たちを普請して築城。北は玄界灘、東は松浦川、南と西は塀で囲まれた要塞が完成する。寺沢家は島原天草の乱の責任から減俸され、その後二代目城主が自殺したことから、徳川の直轄地となる。明治になると廃城になるものの、昭和期に天守を再建、今に至る。

歴史としては比較的浅いお城ですね。
それが日本三大水城に漏れた理由なんかな。

そして前回振れた佐賀(肥前)にあるのになぜ
肥後堀というのか、という謎への答えは、
この唐津城建設に深く関わってくるのです。

お城の説明にも書いた「普請」というのは、幕府の命令で「労働力を提供しなさい!」というもの。江戸城などの天下普請なんかは、建材も大名で負担しないといけないという、ちょっと理不尽な命令。前回の肥後堀は熊本を治めていた大名が大きく貢献したことから、その地の名を頂くこととなったのです。

肥前にある橋やから単純に肥前堀とするよりも、
「肥後の大名が頑張らはったから
名前も肥後堀になったんやで」
聞かされる方が、物語があって良いなあ。



世界のうねりと、豊臣秀吉の見た夢

いよいよお城の中へ。

唐津城ができるずっと昔からの
唐津の歴史をお勉強できます。

松浦党(まつらとう)という武士団がいたそうな。
知名度こそあまりないものの、
源頼朝足利尊氏など、時の権力者に
しっかり頼られていたそう。

戦国時代になると大友氏島津氏という
戦国のスターたちがしのぎを削り、

そして忍び寄る中央政権・・・
さらに朝鮮出兵にまで絡んでるんですね。

中学校のときの社会の先生が秀吉の朝鮮出兵を酷評してましたけど、karateはむしろ秀吉すげーな!と思ったものです。日本統一したら落ち着いても良さそうやないですか。それやのに「次は海外いくで!」ってなるところが、何とも秀吉らしいです。
karateは、秀吉は極度のビビりやと思っています。だから危険察知能力は高かったと思うのです。あれだけ優秀やった黒田官兵衛を遠くに置いたのも、彼の性格を考えれば得心がいきます。
当時、世界は大航海時代でした。ヨーロッパの国々が争うようにして、新しい安全な航路を探しては、様々なものを買い漁っていた。大航海時代といえば聞こえは良いですが、これは完全に帝国主義・植民地支配の始まりでもありました。
優秀な部下たちを揃えた秀吉ですから、人を見る目は確かだったように思います。宣教師たちの思惑にも気付いていたでしょうし、世界に視野の広い部下もいたでしょう。「ワイは秀吉の言うことよりもイエス様の言うこと聞くで!」というような大名たちも出てきかねません。宗教によって日本を乗っ取られるのでは、という危機感を抱くのは自然だったと思います。
そう思うと、伊達に天下人やないな、としみじみ思うのです。耄碌して朝鮮を攻めたわけやおへん!と声高に言いたい!!



まさかの迷宮入り!?
石垣パズル、最後の1ピース

悶々と考えていると、

名護屋城と唐津城の石垣パズルが!
一度バラして組み立てようかなーと。
すると背後から
「俺も俺も!!」
というタカandトシのような声が。
声の主は、少年(9歳くらい)でした。
だから一緒にバラバラにして、

こんな感じに。
少年といっしょに組み立ててみるも、

ka「なあ、これ何回やっても
◆◆1個だけパーツ余らへん…?」
少「これどうやったら完成なん…?」

何回やっても7個使ったら完成してしまうのです。
1個足らんのなら「1個なくなったんかなあ」
で、済むのですが、
1個多いって、どゆことなの。w
確かにさっきまではちゃんとハマってた
はずなんすけど・・・ww

そうやっても解けないので、
頭の柔らかい少年に任せて
karateは奥へ進みます。

唐津焼の展示もありました。

あ、そういえば、

スタンプラリーやってたんでした。
6つのうち3つを周ると
素敵な景品がもらえるそうな。

唐津城で3つがそろったので、
受付へもっていくと
「クリアファイルかぐい吞みか」
とのことでした。
そりゃあ、オジサンたるもの
ぐい吞みでしょうて!!

なんと唐津焼のぐい吞みがもらえました。
かくしてkarateのザックは
更に重たくなったのでした。

唐津城
佐賀県唐津市東城内8
9:00~17:00
Tel:0955-72-5697