佐賀・唐津の誇る一大文化!「唐津くんち」曳山展示場へ

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唐津特集・最終回

長いようで短かった
唐津特集も今回で最後。

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最後に取って置きをご紹介。
だってkarateはお祭り男ですから!!

今回のラインナップは、こちら・・・

◆一番曳山~八番曳山まで!
「指定文化財」乾漆芸したたかな輝き
◆近世日本版マーヴェル・ヒーロー!
武田信玄/上杉謙信/源頼光を担ぐ!
◆唐津くんちはやっぱり獅子型!!
karate、現代の祭りを遠く望む

 

一番曳山~八番曳山まで!
「指定文化財」乾漆芸したたかな輝き

唐津神社のあたりまで戻ってきました。
神社のすぐそばには、

曳山展示場があります。
曳山と書いて「やま」と読むそうです。
karateの地元では地車と書いて
「だんじり」と読みます。
祭り用語は難読が多いですな。

入場料300円を支払って中へ入ると、

圧巻!!
たくさんの曳山が並んでいます!

この曳山が活躍するのは
「唐津くんち」という秋祭りの折。

唐津神社自体は1260年続く由緒ある神社。
唐津くんちはその秋の例大祭。
くんちって、不思議な言葉ですよね。
どうやら供える日とかいて
「供日」からきているそうな。

供えるという字は、供物(くもつ)の供。
「くにち」から転じて
「くんち」になったんかな。

唐津くんち

唐津神社の秋例大祭。長崎くんち、博多おくんちとならび、日本三大くんちが一つ。17世紀に始まったとされ、実に300年以上の歴史を誇る。14町から集められた曳山を、3日間にわたって御幸する。世界最大級の乾漆造で仕上げられた曳山は、佐賀の重要有形民俗文化財に指定されており、また唐津くんち自体も国の重要無形民俗文化財に指定されている。3日間で50万人を動員する。

唐津に50万人!すごいな。
とはいえ去年はコロナで中止になりました。
今年も中止かしら…

14町もあれば、パレードは壮観でしょうね。
karateの地元は地車の盛んなところですが、
少子化の影響をモロに受けて
青年団に入ってきてくれる若者の数が
年々減っております。

でも写真を拝見する限り、唐津くんちは
少子化なんてどこ吹く風ですな。

さて、したらば14町ある曳山をご紹介!

赤獅子(写真左手)
青獅子(写真中央)

一番曳山の赤獅子は刀町の曳山で、唐津くんちはこの赤獅子が200年前に奉納されたことに始まる、最古の曳山。
二番曳山の青獅子は中町の曳山で、赤獅子の5年後に作られた。2番目に古い曳山。

そして三番曳山から、様相が随分変わります。

亀と浦島太郎(写真右手)

三番曳山の亀と浦島太郎は材木町の曳山。2つの獅子から少し時を隔てて製作。昔、亀の上には宝珠が乗っていたが、現在は浦島太郎がまたがっている。雨天の折には蓑と笠を身に着けることも。

亀は随分勇ましい姿をしています。
それよりも浦島太郎が、

めっちゃええ顔してる!!w
いや、ホンマに生きてはるみたいに
生き生きとしています。
夜中に見たらちょっと怖くなりそうな
そんなリアルさがあるというか、
生気すら感じるというか・・・!

源義経の兜(写真左手)・鯛(写真左より2つ目)

四番曳山の源義経の兜は呉服町の曳山。呉服町には具足屋があり、相当精緻に兜に忠実に作り上げた。製作は亀と浦島太郎と同時期。
五番曳山の鯛は魚屋町の曳山。字のごとく魚屋の多く集まる町で、鯛をあしらったのは神さまへの捧げものという意味合いも込めてのこと。

鯛はめっちゃ有名ですね。
パンフレットや旅行雑誌にも
唐津くんちといえば、
この鯛が代表って感じです。
karateも唐津くんちを知ったとき、
最初に目にしたのが鯛でした。

鳳凰丸(写真左手)
飛竜(写真中央)
金獅子(写真中央やや右)

六番曳山は大石町の鳳凰丸。舟形をしており、舟飾りに鳳凰があしらわれている。舟部分は唐破風になっており、他の曳山と異なって木造と木形でできている。
七番曳山は新町の飛竜。足は前足のみ、ヒレを大きく造っていることが特徴。
八番曳山は本町の金獅子。赤獅子・青獅子と同じ題材であるが、金獅子の方が少し大きい。全体に金箔が押されており、歯はプラチナ箔。

金獅子は見た目以上に豪華なようです。プラチナって、箔押しすることあるんすね。赤獅子・青獅子から様々なモチーフが出てきました。

金獅子で一旦原点回帰したかに思えましたが、
ここからは古代〜中世の
マーヴェル・ヒーローたちが登場します!



近世日本版マーヴェル・ヒーロー!
武田信玄・上杉謙信・源頼光を担ぐ!

九番曳山~十一番曳山までは
兜の曳山の再来です。

武田信玄の兜(写真左手)
上杉謙信の兜(写真中央)
酒吞童子と源頼光の兜(写真右手)

九番曳山は木綿(きわた)町の武田信玄の兜。八番曳山までとは少し時を隔てての制作。北インド〜チベットに生息するハグマと呼ばれるヤクの毛を使用しており、今では入手困難な素材で作られている。神輿にかつぐ武者の代わりに、当時人気のあった武将の兜を模して作られたようである。
十番曳山は平野町の上杉謙信の兜。こちらもヤクの毛を使用。アメリカのディズニーランドやオランダのロッテルダムまで遠征した経歴も。
十一番曳山は米屋町の酒吞童子(しゅてんどうじ)と源頼光(みなもとのらいこう)の兜。平安時代に活躍した武士、源頼光は酒呑童子を退治するものの、切った酒呑童子の首が頼光に嚙みついた様を再現している。酒呑童子の血走った目を再現するべく、当時大変貴重だった長崎のビードロを使用。現在は肥前ビードロになっている。髪はヒマラヤ産のヤクの毛を、眉は黒馬の毛を使用している。

武田信玄と上杉謙信は有名ですな。「敵に塩を送る」ということわざの元になったお話がある、ライバル同士の戦国武将です。でも源頼光は、もしかしたらご存知ない方もいらっしゃるかも。

源頼光といえば、
平安きってのゴーストバスター!!
数々の魑魅魍魎たちをなぎ倒してきた英雄です。
頼光と頼光四天王の倒してきた妖怪は、
ご覧の通り。

・酒呑童子(歴代最強の鬼)
・土蜘蛛
・一条戻橋の鬼
・茨木童子

妖怪の中ではビッグネームばかりです。ですが資料の中に残っている頼光の姿は結構控えめで、人間相手の戦いとなるとあんまりパッとせーへんのですよね・・・w
妖怪の正体は、当時の朝廷に反抗する勢力だったとする説が有力です。そうなると、頼光四天王が東北方面を治めさせられたことにも得心がいきます。朝廷に従う者たちは人間で、そうでない者たちは鬼であると。
後世の人間からすれば少し乱暴な気もしますが、古代~中世にかけての日本の識字率は低いものであったことを考えると、言葉を音でとらえるしかなかった時代、強い言葉や表現、物語が取り沙汰されたであろうというのは想像に難くありません。
だから話も単純で明快、それは時代を遡るほど顕著になっていきます。古事記や伝承の類は、大体シンプルですもんね。

さて、残る曳山は3つ、
一息にいきましょう!!

唐津くんちはやっぱり獅子型!!
karate、現代の祭りを遠く望む

金獅子で原点回帰したものの、
兜シリーズが続きていました。
しかし、唐津くんちといえば
やっぱりお獅子!
獅子の形に再び原点回帰です!!

珠取獅子(写真左手)
(写真中央)
源頼光の兜(写真右手)

十二番曳山は京町の珠取獅子。神社の境内にいる獅子の多くは前足の片足で乗っているが、四つの足でしっかりと宝珠を捕まえている。四本足で宝珠を捕まえる意匠は御茶盌釜の後期唐津に見られるデザインである。
十三番曳山は水主(かこ)町の鯱(しゃち)。昔はもう少し大きかったようだが、曳行にともない家屋に接触し、傷みも激しいため一回り小さく造り変えられた。その費用に困窮していた内情を聞いた中島嘉七郎(鯱の設計者)は、お祭りの折に自宅前を通ることを報酬に代えたという。同氏は既に逝去、中島家も別に居を構えたが、今もその地を必ず通るという。
十四番曳山は江川町の七宝(しちほう)丸。舟形に竜の飾りがついており、舟には七つの宝(宝珠・軍配・打ち出の小槌・隠れ蓑・宝袋・丁子・一対の巻物)がある。

それにしても、
十二番曳山、どこにもおへんやないの!
と思いますよね。

実はちっちゃいのがいましたww
どうやら絶賛修復中だったようです。

小さくったって、ちゃんとレプリカを
用意してくれているところが素晴らしい。
karateも「えー、せっかく見に来たのにー」
とは思いませんでした。

 

祭りの存続には、色々な障害があります。まずはお金の問題。国や地方自治体がお金を援助してくれていますが、そうまでしなければ保存できないという実情に悲しくなるし、それを「当たり前や」と思っている大人たちの胡坐のかき方にもあきれてしまうのです。町としての努力はもっとあって然るべきかと。そしてできれば自治体からいただいたお金はお返しすべきかと思うのです。

そして何より、人の問題。引き継ぎ手の不足もそうですが、何より地域の人々の理解が本当に難しくなってきた。夜の7~8時頃になっても、太鼓や鐘が外で鳴っていると「うるさい!」って思う人もいます。そんな人たちからクレームをもらうこともありますね。そういえば最近、家の近くのカエルがうるさいっていうんで裁判を起こして棄却された人がいましたね。マジで世も末ですね・・・。
でも年に1回くらい、そんな日があったって大目に見てほしいのです。だって祭りは「神事」ですから。特に秋祭りは神さまに「今年も大変な実りをいただきました、ありがとうございました」って感謝する行事です。盛大に感謝しておきたいやないですか。来年もヨロシク頼まないといけませんから。

karateもお花集め(寄付金のお願い)に色んなご家庭を回るうち、「神さまにかこつけて、騒ぎたいだけやろ」って言われたことがあります。本当に、自分のことしか考えられへんのやな、と思いました。怒っているわけではありません、その人が可哀想で、悲しくなりました。他人や地域を慮るゆとりがないんかな、と。

神事って、どう思います?だって神さまって実在すんのかどうか、わからんことないですか?「そんな曖昧なもののために、お金も人も労力も使うのって、どうなん?」と、たまに聞かれます。でも、具体的なものにお金や人や労力を使うのって、詰まらんのです。160円払ったら自販機からジュースが出てくる、一体何がおもろいんですか。w

神さまは恐らく、実体はありません(こんなん言うたら罰あたるかなw)。でも存在はします

目の前に、絶対に中身の見えない、中身を取り出せない箱があるとします。その中に人類の存亡を揺るがす超危険な道具が収められているとしたら、近くにいる人たちは必ずそれを守ろうとしますよね。でも、誰も中身を見たことはないんですよ?空っぽかもしれないじゃないですか。それでもやはり皆、同じように守ろうとする。それは存在するという事実と何ら変わりないと思うのです。
日本人は農耕民族です。チームワークなくして運営・維持はできません。ある程度の共通した行動原理と価値観は不可欠です。そこに宗教を用いる。世界中どの国を見ても共通の歴史を持っています。下手したら遺伝子に組み込まれてんちゃうか。w

「でも、もう農業せーへん人も多いやん、じゃあいらんやん」と言われれば、「人同士のつながりを維持するには必要」と答えます。
「SNSがあればつながれるし、やっぱいらんやん」と言われれば、「SNSが台頭している現代だからこそ、祭りを欠かすことはできない」と答えます。

皆さま、町内会って入ってますか?両隣、お向かいさんのお名前と家族構成、ご存知ですか?karateからすると、知らんまま生活するなんて、よおできるなあ、と思うのです。隣人トラブルも、災害時の混乱も、全てご近所付き合いがないから起こるもんやないですか。現代病やと思います。だからといって町内会に入ったり、ご近所付き合いしたりするのは億劫かもしれませんね。

そんな町内の人々を強力に結びつけるのが、お祭りなんです。そこに神さまがいるかどうかは、実はそんなに大きな問題ではないのです。そこに神さまがいるということを皆の共通認識にするだけで、何百人という数の人々と、自分の人生が交差する。もしかしたら、庭師の方がいるかも。そしたら安く庭の手入れをしてくれるかもしれません。顔見知りになるだけで、防犯にだって役立つ。そうして出会いが財産になるんです。

遠くの人と繋がれる可能性のあるSNSやインターネットは、確かに可能性の幅を広げてくれました。ただそちらに偏重するあまり、近くにいる人との可能性を捨てている以上、±0ですよね。ただのトレードオフです。遠くにいる人の方が、自分の人生を豊かにする可能性を持っているというのは、本当でしょうか。karateの家のお隣さんは、画家さんです。それを聞いただけでも、ワクワクするやないですか。ネットも電気もいらない。ただ10歩進めば、知らない世界が待っている。

だから今こそ、祭りが大切なんです。
でも今は感染病を防ぐことが肝要ですな。
世知辛いぜ。

そんなことを感じた、唐津の旅でした。

曳山展示場
佐賀県唐津市西城内6−33
9:00~17:00
Tel:0955-73-4361